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西武の旧社型 その2

 昭和30年代に残った旧社型は151形、211形、221形、231形、1231形、241形そして301形でした。
これ等の内、151形と221形が旧西武鉄道、それ以外は武蔵野鉄道の車両です。

 151形は昭和初期に各地の私鉄に納入された川崎造船標準型の鋼製車で西武では最も
両数の多い(21両)社形でしたが、その全てが昭和41までに他社に譲渡されています。
 221形は旧西武最後の新造車で、昭和16年梅鉢製で窓上ヘッダーの無い優美な車体でした。
当初はTR25系の台車を履き、一段上昇窓だったそうです。これも全10両が他社に譲渡され
ています。
 211形は大正15年から昭和2年にかけて、川崎造船・日本車両の2社で計10両製作された
3扉車ですが、2社で窓配置に相違が有る厳つい形をした車でした。これも全10両が他社譲渡
されました。
 231形は昭和3年度に川崎造船で計8両製作された2扉クロスシート車でしたが、後に3扉ロング
シートに改造されています。211形同様武蔵野初期鋼製車特有の厳つい姿をしておりました。
 1231形は昭和15年度に制御車のみ7両作られた3扉車ですが、製造は1232梅鉢、1233・1234
日本鉄道自動車、1235~1238木南車両と3車に分かれていますが形態に大きな相違は無かった
ようです。これも全車他社に譲渡されましたが、この内一畑に行った1232が昭和37年西武に出戻
って162となり、その後クモニ1となったのは前述した通りです。
 241形は武蔵野鉄道随一の有名な広窓クロスシート2扉の全鋼製車で川崎造船で4両製作され
ましたが、後にロングシート化され是政線など支線で運用されましたが、更に3扉化大改造を施さ
れて池袋線に返り咲きました。しかしその3年後には早くも廃車となり近江に4両とも譲渡されました。
 301形は昭和17年武蔵野最後の新造車として4両が木南車両で製作されました。木南特有の
窓の大きな優美で均整のとれた形態は戦後も陳腐化することなく、旧社型唯一国鉄型標準制御器
(CSー5)化され昭和39年まで活躍しました。(クモニ1も後にCS-5)

写真はモハ231形 234+235(クハ代用) 萩山 昭和36年 (友人H氏撮影)
西武の旧社型 その2_a0251146_1161376.jpg


写真はモハ151形 154+1153  武蔵境  昭和36年
西武の旧社型 その2_a0251146_1165534.jpg
 

写真は最後まで残った1段下降窓車クハ1211形 1216+381  上水線  昭和36年
西武の旧社型 その2_a0251146_119492.jpg


こちらは、堂々朝の急行の先頭に立つ302以下8連の池袋行きです。
301F+421系×2   保谷~ひばりヶ丘 昭和37年
西武の旧社型 その2_a0251146_1195970.jpg


            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)
by tetudankai5501 | 2012-01-18 01:23 | 西武鉄道 | Comments(5)
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-01-18 18:50 x
池袋の小学生様、皆様 今晩は
この前の駅名クイズの件、豊岡町→入間市ですね。あと私が記入した分ですが、自答します。
上屋敷(山手線を越えて次の踏み切りの間)→廃止。
(余談ですが、この場所付近から西武電車の下りが通過してゆく夜景をバックにした
洋酒のTVコマーシャルがありましたね。)
長江(長崎と江古田の間の貨物駅)→廃止。
田無町→ひばりヶ丘
東所沢(秋津と所沢の間)→廃止。
下原(入間基地(旧ジョンソン基地)燃料輸送用)→廃止(線路は後年まで在りましたね。)
展覧山(東飯能と高麗の間)→廃止。
西鷺宮(現鷺宮変電所付近)→廃止。
東小平(花小金井と小平の中間、Sカーブの小平寄り)→廃止。
所沢御幸町(所沢と航空公園の間)→廃止。
北所沢→新所沢
入間川→狭山市
新宿線で気になるのは、安比奈線ですが公式には廃線ではなく、”休止”ですよね。
安比奈で入れ替えをするED14-3の姿がRM誌に載っていました。
当時保谷に留置されていたのは知っていましたが、まさか此処で働いていたとは驚き
ましたね。
Commented by vasutfan at 2012-01-19 16:29 x
いつも楽しく拝見しております、ハンガリー在住vasutfanです。
さて、戦後間もない名画にも西武電車、登場しておりましたね、CMの西武電車で思い出しました。
特に印象深いのは、
①黒澤明監督作品(S24年)「野良犬」の大泉学園駅(終盤)
②成瀬巳喜男監督作品(S30年)「浮雲」の池袋線、池袋付近(中盤あたりのシーン)
両作品とも西武電車が大変印象深く登場しており、特に①はストーリーの展開上、「駅」が大変重要な役割を演じております。
両シーンとも今からは想像もつかない情景ですが、普段使っている西武線沿線に、往年の名優がその足跡を残しております。
三船敏郎さん、高峰秀子さん、森雅之さん、何れも今なお語り継がれる銀幕のスターですね。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-01-19 19:45 x
vasutfanさま いつもお便り有難う御座います。
大泉学園は昭和40年代初めの頃何時も利用していました。
 映画に関しては全く詳しくないのですが、”野良犬”は終戦後の荒廃した世情
を背景にした刑事物語だったですね。確か最後の方で犯人との格闘シーンが
大泉の駅やその周辺だったように思います。
大泉は昔から東映の撮影所が在り、昨今ではアニメブーームということで、そちら
方面でアピールしているようです。西武電車もそれに肖り、999やメイドトレイン
特急など商魂逞しい昨今です。
以前は作家の五味康祐さん、牧野富太郎先生など文化人と言われる方が多く
住まわれていたような記憶です。
 武蔵野鉄道の駅の造りは東長崎、練馬、中村橋、富士見台、石神井、大泉
など皆屋根の形がいわゆる、マンサードルーフと呼ばれる三角屋根が特徴
でした。今は高架となった中村橋駅にモニュメント的に残されて居るだけだと思います。
 それでは、又のお便り楽しみにしております。失礼します。
Commented by 池袋の小学生 at 2012-01-19 20:25 x
団塊鉄ちゃん様 vasutfan様
151の画像と同じ所で見た記憶がありますが、すでに赤電でした。
お椀形のベンチレータ・・・・可愛いです。
さて、先ほど『浮雲』の画像を検索して楽しんでおりました。
高峰秀子さん 美しいです。
山手線のガードの所で、旧501と武蔵野系+木造国電改?の映像を確認いたしました。
vasutfan様
現在とあまり変わらない風景ではないでしょうか?
私の知らない 西武電車の世界をご紹介頂き 有難うございました。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-01-20 00:41 x
池袋の小学生様 何時も有難う御座います。
151系を撮った場所は、是政線と中央線が離れてゆく処で、此処では
国鉄と西武両方写せるので好んで行きました。が、当時はカメラも腕も
悪く(これは今も同じです)、お見せできるような写真が余りありません。
それから「浮雲」は私は未だ見たことが無いのでDVD探して見ようかと
思います。
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