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保谷大カーブ 昭和35~37年

 

西武池袋線の保谷・ひばりヶ丘間の通称「保谷大カーブ」はもう昔から
長い編成が収まる数少ない場所として親しまれて来ました。
 最初にここを訪れてからもう半世紀が経とうとしています。
当時は御覧の様に典型的な武蔵野の農村風景が見渡す限り拡がって
おりました。武蔵野台地ですので作物は白菜や芋類などの畑と農家の
屋敷林、楢や欅といった里山の雑木林が点在してのんびりとした景色
でした。
昭和35~37年頃の写真ですが、丁度旧塗装から赤電への塗替過渡期
です。車両は全てが吊り掛け車で551系が最新でした。
 今でも此処の場所は奇跡的にカーブ内側は依然として農地ですね。



                          (各写真はクリックで原寸となります)
501系は当時池袋線の主でした。この車は未だ板バネのTR25のようです。
保谷大カーブ 昭和35~37年_a0251146_21362216.jpg


501系511Fだと思います。こちらはもうエアサスTR25を履いています。
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旧塗装529F、501系では最後に赤電になります。
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451系の4両固定版は、471F、473Fが旧塗装で出場、そのあとは新塗装
で481F~に番号が飛びました。
481F
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483F
保谷大カーブ 昭和35~37年_a0251146_21391323.jpg


こちらは当時の最新車、551系トップの551F。最初は編成半分が黒Hゴムでした。
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ひばりヶ丘行き559F
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551系8連急行
保谷大カーブ 昭和35~37年_a0251146_21422183.jpg


旧武蔵野社型301系も健在でした。中間にサハ1471形を挟んだ晩年の姿です。
303F 304・1492・1491・303
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301F 302・1490・1489・301+411系 302を先頭に8連池袋行き急行です!
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もう昔のはなしです・・・。再掲写真多く恐縮でした。


            (ブログ内掲載写真・記事の転載及び現業問合せ等はご遠慮下さい。)




  保谷の煙突が見える場所?ここら辺でしょうか。

保谷大カーブ 昭和35~37年_a0251146_01340830.jpg

by tetudankai5501 | 2013-12-19 21:51 | 西武鉄道 | Comments(8)
Commented by 池袋の小学生 at 2013-12-21 11:04 x
ご無沙汰しています。
今とは違い長閑な風景が好きです。 
501系の板バネ使用を始めて拝見し驚きの一言でございます。 
赤電の勉強が弾む画像をありがとうございました。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2013-12-21 15:58 x
池袋の小学生様 こんばんは
昔西武線を撮ろうと思って先ず向かったのは保谷の大カーブでした。
ただ朝はとても光線状態が宜しくないので苦労しました。 
TR25系を履いた501系はエアサス改造後、例のビビリ振動が激減しましたね。
Commented by 1005-1006-2003 at 2013-12-23 18:44 x
当時としては最新鋭の551系8連、とても美しいですね。
当時でも黒Hゴムがあったとは… 試験的要素だったのでしょうか? その後の601・701系も登場時は白Hゴムでしたね。その後経年劣化を考慮して、全車が黒Hゴムに交換されています。(なぜか2000系は白Hゴムでしたが)

サハ1471形が301形と編成されたのも意外ですね。当時クモハ451形がクハ1411と組成されていましたので、逆にされていれば編成美はとれていたのではないでしょうか?

やっぱり赤電の時代は良かったですね。
Commented by 清68 at 2013-12-23 20:27 x
いつも素敵な写真をありがとうございます。
この場所から赤い電車が去って早や30年が経ちましたが、未だにひょっこり走ってきてもおかしくない風景が見られるのは本当に奇跡的ですね。
貴重な撮影地であり、何よりも昔の記憶をよみがえらせてくれる
この場所が、末永くこのままであってほしいと思っています。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2013-12-24 17:34 x
清68様 こんにちは
保谷のこのカーブは最初に西武電車を撮った思い出の多い場所です。
いまだに当時の面影が現実に残っているのはとても素晴らしいことです。
ひばりヶ丘寄りカーブの西端付近に小さな踏切が有ります。親に買って貰った
キャノネットを持ってその踏切り脇で赤い電車を撮っていたのがつい昨日の事
のようです。
今の西武には保存車も含め、赤電が1両も無いことが残念でなりません。2000
系でも何でも良いのですが、「赤電クラシック」の復活が夢です。
それから例の9000系の戸袋窓の件、ラッピング準備とのことで一安心ですね。
Commented by 団塊鉄ちゃん(就役前の551) at 2013-12-24 22:21 x
1005-1006-2003様 こんにちは
551系最初の551Fは昭和36年夏に出場しましたが、当時所工の製造規模の制約で
4連でも2両単位で製作されておりました。従って501系の頃は新車が出場すると奇数
の2両だけで他の形式と連結され早速運用に就いていましたが、551系からは相方
偶数車の出場を待って4連組成後運用に入るようになりました。551Fは最初の奇数
側2両は暫く保谷の車庫で待機していましたが、前面ガラス(強化ガラス)の入荷が遅れ
鉄板を嵌めて有ったことが妙に記憶に残っています。
 サハ1471形の1489~1492は最初当時入線した371系と組んで新宿線を走っていましたが
301系のCS化に伴ってクハ1301形を廃し、1471形と組成4両固定で暫く活躍しました。
Commented by tetudankai5501 at 2020-02-19 22:56
> まだ無い様
ご報告有難うございます。
保谷の大カーブも遂に宅地化で消滅の危機のようですね。
かつての撮影地が失われることは残念ですが、むしろ今日まで
残っていたのが意外だった気も致します。
当時は桜台に住まいがあり、保谷まで電車に乗り車庫を眺めた
後、このカーブに赴き赤電への過渡期の姿を夢中で撮っておりました。
吊掛け車全盛期昭和36年、551系が眩しく見えたものでした。
あれからもう60年近くの時間が経ちました。
Commented by tetudankai5501 at 2020-02-21 01:33
> まだ無い様
保谷の煙突?
件の煙突のある工場の場所は現在の保谷高校
南側辺りと思われますが、何の工場なのかは判り
ません。当時保谷付近で煙突の有る工場は保谷
ガラスが有りましたが、これは駅の北方向に有った
ので違います。
昭和30年代の保谷付近の地図を見ますと、当該
場所辺りに工場が2カ所ありますので、この場所
付近に煙突が有ったのかも知れません。
地図を上に挙げておきますね。
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