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西武狭山スキー場急行



 狭山スキー場は昭和34年に狭山湖駅近傍に作られた人工スキー場ですが、
当時狭山湖駅近くに既設されていたユネスコ村と合わせて西武狭山線の集客
対策として建設された施設です。
 開業当初から直通列車が運転されていたと思われますが、後に狭山スキー
場行き直通急行列車が池袋~狭山湖間で運行され当列車には前後にスキー
板を模したヘッドマーク取り付けられました。
 列車は途中練馬・石神井公園・田無町(ひばりが丘)・所沢・西所沢に停車
したと思われます。
 編成は常時2両で使用車両は、311・351・411系等2両編成車は何でも使わ
れました。

狭山湖駅は後の昭和54年に西武球場前駅として再出発しますが、狭山スキー
場は平成の今日まで57年間の永きに渡って営業されていることになります。




写真は、昭和38年から昭和40年頃の撮影です。
                    各写真はクリックで原寸となります

 411系狭山スキー急行   西所沢 昭和40年    友人H氏撮影
西武狭山スキー場急行_a0251146_22225225.jpg

 1303+352 狭山スキー場急行 清瀬     昭和38年
西武狭山スキー場急行_a0251146_22233534.jpg

 1311+312 狭山スキー急行  清瀬駅    昭和38年
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 316+1315 狭山スキー急行   清瀬    昭和38年

西武狭山スキー場急行_a0251146_22234978.jpg

          以上です。ご覧頂きありがとうございます。

                    ブログ内掲載写真・記事の転載等はご遠慮下さい。
by tetudankai5501 | 2017-02-02 22:28 | 西武鉄道 | Comments(3)
Commented by 風旅記 at 2020-06-19 04:21 x
こんばんは。
お写真の頃の西武には、今から振り返りますと本当に惹かれます。
今では柔軟な発想でデザイン性に富んだ車両が多く走るようになっていますが、それが信じられないくらいに保守的な車両ばかりですね。単に古い車両が走っていることよりも、古い機器を使い回した車両が次々と生み出されていたのが興味深いです。それらの車両の新製された車体も、飾り気はなく、おそらくコスト、効率最重視だったのだろうと思います。
高度成長期には次々と新しいものが生まれ、世の中に浸透していったような印象を持ちますが、実際には(当たり前ではあるのですが)前時代的なものも最新のものも新旧混在していて、社会を支えていたのだと感じ取れるように思います。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
Commented by tetudankai5501 at 2020-06-20 01:06
> 風旅記 様
ご覧頂きありがとうございます。
戦後合併後の西武は所沢の陸軍廃工場を入手して車両工場を立上げ、そこで
戦後各地に廃棄されていた焼け省線電車を搔き集め入手、手直し復旧させて
戦前からの社型を順次大型の国電タイプに置き換えて車両増備を図りました。
それは焼け電復旧終了後に始まった独自車両新製後も国鉄臭のする車輛が製作
され続けた要因となったようです。
余り垢抜けしない車両達は他社の新車の様な新技術とは無縁のセミ新車でした
が、武蔵野の景色に不思議と似合っていたと思います。
西武が大きく変化したのは、やはり一族経営終了後からだと思います。
Commented by 風旅記 at 2020-06-21 02:10 x
こんばんは。
お返事くださいましてありがとうございました。
戦後の西武・セゾングループへと繋がる堤家の経営の考え方なのかもしれませんね。コクドやプリンスホテルのその後の奇跡を見ても、国からの払い下げというキーワードは各所に出てくるように感じます。
それにしましても、(最後は足りなくなったとのことですが)よくぞ必要数、旧型国電の機材をかき集めたものですね。
東武など他の鉄道会社でも同様の逸話を聞いたことがありますが、きっと国鉄の車両への信頼感のようなものがあったのではないかと想像しています。
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