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2012年 01月 30日

2M4T



 質より量の時代を象徴する西武電車を代表する編成が、この2M4Tの501系6両半固定
編成車でした.
 昭和37年4月、551系最後の新造車561Fが登場しましたが、この頃旧国鉄標準部品が枯渇
し、ようやく重い腰を上げて次はカルダン車を採用しなければならない環境になってしまった
のです。そうして誕生するのが初の新性能車601系なのですが、新造準備に半年以上掛かり
その登場は、昭和37年12月年末の事でした。当時の西武沿線の人口は団地造成など盛ん
で急激に増えつつありました。半年間も車両増備を怠る訳には参りません。
 そこで目を付けたのが、当時西武一”大出力”(MT30 128Kw)と言われた主電動機を装備
した501系でした。501系4連(Mc+T+T+Mc)の中間に電装品の不要なサハを挿入し、安直
な車両増備を考えたのです。そうして生まれたのが、551系のサハ1562の続番1563~1572の
10両でした。この新造サハは殆ど床下機器は無く、唯一中古の1.5KwMGを各車搭載しただけ
でCPも在りませんでした。そうして出来上がったのが、Mc+T+T+T+T+Mcの2M4T501
系でした。サハは10両新造ですから2両づつ組み込んで、この編成が5本出来上がりました。
 当時標準のMT15の3M3Tの場合、(100Kw×4×3)/6=200Kw/1両
 2M4Tの場合MT30ですから(128Kw×4×2)/6=170Kw/1両(車体重量は同じと仮定)
で3M3Tの85%出力となりますが、何とか温度上昇試験等パスしたのでしょう。実際に走りだ
しました。が走りは計算どおりいかないもの、加速は悪く走りはギクシャクまるでP・P運転の  
列車のような走行状態で、さすがに当時のスジでも乗せるのは苦労していた様子でした。
ただこの編成だけが当時弱め界磁を使用し、高速域で速度挽回を図ろうとしましたが、駅間距離
が短い区間では、弱め界磁段に入る前にもう場内信号で減速するような状況でした。
 もう一つ扱いに手間だったのは、モーター負荷を平均化するために、定期的に2両のサハを
501系の中でたらい回しに組み替えていたことです。




 写真はモハ527+サハ1527+サハ1567+サハ1568+サハ1528+モハ528の2M4T編成
  高麗駅ハイキング急行の昼間待機  S37年 (各写真はクリックで原寸になります)
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 こちらは、各停運用に付く527F 池袋行き  秋津~所沢  昭和42年

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珍しく新宿線を走行する2M4T 東村山~所沢    昭和41年

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 サハ1528+サハ1568 連結部 

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しかし、さすがに上記のような状態で恒久的に使う訳にもいかず、後に半数を電装してモハ571形
として同型の551系に組み込まれ、昭和42年に2M4T編成は解消しました。
 しかし、551組み込みの際最後の579+1579のモハの電装品が間に合わず、両側クモハ559と
560をMT30に置き換え再び2M4Tが出現してしまいました。579が電装されたのが昭和44年です
から、西武には都合7年間も2M4Tが居たこととなります。

 電装化後551系に組み込まれたモハ575   小手指区  昭和44年

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 モハ575の相棒サハ1575     小手指区   昭和44年

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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)


by tetudankai5501 | 2012-01-30 21:26 | 西武鉄道 | Comments(4)
2012年 01月 28日

正常進化?

 西武所沢工場による自社車両の他社向け改造車、他社車両の他社向け改造車
は数多くあります。他社の廃車体を購入し他社に納入した後者の例の主たるものは、
京急デハ400→弘南モハ108、流山モハ1101、伊予鉄モハ121系
小田急クハ1650→関東鉄道キサハ65,67、三岐モハ125、クハ215,216
南海キハ55→関東鉄道キハ755
国鉄キハ04→関東鉄道キハ411,412
国鉄キハ07→関東鉄道601,602,612,613,614
等など数多く有ります。
 一方、他社向け純新造車はそれほど多くは有りませんでした。
上信電鉄デハ200増備車204,205、クハ303,304(昭和44年)
上毛電鉄デハ181(昭和38)
三岐モハ150,151(昭和46、48年)
系列の伊豆箱根には下記の12両です。
伊豆箱根1000系(一期)モハ1001~1004、サハ2001、クハ2002(昭和38~39年)
伊豆箱根1000系(二期)モハ1005~1008、クハ2003、2004(昭和43~46年)
上記の様に意外と少ないのです。但し鋼体化名義による新車や機関車、貨車等
は除きます。)
 新造車の内、カルダン車は上信デハ200系のみで、正面は在来200系(東洋電機)
同様貫通式でしたが、側面は同時期に製造された西武423以降と全く同じでした。
 伊豆箱根1000系は、製造時期が西武601系から801系とラップしているので
西武車の変化の影響を強く受けているのが面白い処です。第二期車は後に
西武701系廃車余剰部品でカルダン化しますが、最後まで非冷房のままでした。

第一、第二編成は西武601系と時期が合致しますので、正面形状の違いは
ヘッドライトの位置がおでこから降りて、へそ二丁ライトとなった位です。がそれだけ
で雰囲気は大幅に違いますね。おでこがとても寂しいのです。
第三、第四編成は西武701系の影響を強く受け、方向幕と標識灯が上に上がり
くの字断面、塗装変更と相俟って洗練された姿になりました。
車内は第三編成以外セミクロスシートですが、何故か第二編成のみ床が板張り
でした。
 余談ですが、所沢中線で最初に1000系の新製車を見た時は、西武と全く同じ
赤電塗装なので西武車と勘違いし、何故にクロスシ-トなのかと驚きました。
てっきり、休日急行用で、平日は日中だけ急行運用に入るのかと勘違いしました
が、落ち着いてみると伊豆箱根の社紋が付いていたので納得した覚えが有ります。

 写真は伊豆箱根1000系第一期車モハ1001「昭和38年製」 昭和44年 大場工
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 写真は西武601系1614「昭和37年製」  昭和43年  上石神井
お面はヘッドライトの位置が違うだけなのですが・・・・。
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 601系に続く701系「昭和38年製」    昭和43年    拝島
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こちらは伊豆箱根1000系第二期車クハ2003「昭和43年製」  昭和44年  大場工
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こちらは西武801系1809「昭和43年製」  昭和43年  小手指区
何やら1000系の方が、観光地の電車らしく変身しました。
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上が伊豆箱根1000系の運転台。下は当時の西武の標準運転台。圧力計1ヶです。
伊豆箱根は吊り掛け車なのにメーター沢山でした。恐らく乗り入れて来る
国鉄車に合わせていたのでしょう。
ATSの付く前の西武の大部分の吊り掛け車には、速度計は有りませんでしたね。
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-28 18:30 | 西武鉄道 | Comments(4)
2012年 01月 27日

武蔵野冬景色


 今冬は特に寒い日が多いようですね。先日は東京近辺でも少し積雪が有ったようです。
大分昔ですが、昭和42~44年は特に降雪日が多く、関東でも良く積もりました。
 雪景色の中を行く電車の姿が好きで、雪が積もると物好きにもカメラを持っていそいそと
出掛けました。この時は所沢近辺でも30Cm位の積雪となり、ひざ辺りまである雪の中で
ひたすら赤い電車を待ち、雪だるまになりながら撮りました。
 関東の雪は、これから2月、3月の南岸低気圧通過時に良く降りますね。

掲載写真は、昭和42年2月11日から12日にかけて撮ったものです。(再掲載多くすみません)


 こちらは、513F2M4T(下り西所沢行き)425F(上り池袋行き)  秋津~所沢
                                 (各写真は、クリックで原寸となります)
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 これは、505F準急飯能行き。こんな大雪でも準急など優等列車も運転していました。
  秋津~所沢
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 左狭山湖行き急行、右池袋行き準急。共に番号不詳    秋津~所沢
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 池袋行き711F各停   秋津~所沢
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こちらは新設された小手指検車区横を行く上り列車。609F他 
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 小手指信号所まで上がってきた、西所沢止まり列車です。
 当時の運転士さん、皆マイ座布団持ってましたね。運転席が丸椅子で貧弱でした。 
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 E52の牽く貨物列車。 小手指(信)~狭山ヶ丘  
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 上同列車 木造緩急車ワフ11 哀愁漂う後姿懐かしいです。
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-27 01:20 | 西武鉄道 | Comments(2)
2012年 01月 25日

黄色い電車



 西武がいわゆるレモンイエローの塗色を採用したのは、勿論昭和43年末に登場した101系列が
最初ですが、この塗色を採用する半年位前に701系を用いて塗色見本車が仕立てられました。
正面は黄色一色、側面は窓周りを従来の赤電と同様のトニーベージュに、腰周り・窓上は
黄色で腰周り塗り分けラインは従来の赤電と同じ位置でした。私が見たのはドアーも同様の
塗り分けだったのですが、一時期ステンレスドアを模したのか、銀色塗装化したことがあったようです。
結局、この701系塗装見本車と同様な塗装で、101系第一編成は出場しました。ドアーはSUSの
無塗装で外見上のアクセントになっていました。

101系出場前の701系塗装見本車 747F S43年  小手指区
(各画像はクリックで原寸になります。)
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通常塗装 751F  S43  小手指区
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車体形状は、従来の801系と全く同様でしたので、私はこの塗装にはかなり抵抗を禁じ得ませんでした。
元々、701系の正面形状と塗りわけラインは一体でデザインされたもので、SUSの飾り板、前照灯の
位置は塗り分けラインと合致するように考えられていたからです。
 編成全体として遠目で眺めた場合は、黄色い車体に側面のベージュがアクセントでになって、いかにも
全く新しい系列というアピールを打ち出したかったかったのでしょう。でも正面単体で眺めた場合、単色
黄色坊主は前述の理由で最後まで馴染めませんでした。

左1101  右1791(ATS試験車) 小手指区    
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 もっとショックだったのは、701系冷改車が黄色単色に塗り変られた時でした。忘れもしない新狭山で
601系を組み込んだ6連冷改車第三編成試運転車が真黄色に塗られていたのを目撃した時です。
側面を見てもベージュ色が無いのです。
 若気の至りで、早速西武に長々と上記の様な理由で「701系列の一色化は困ります。せめて正面窓周り
をブラックアウトのアクセントとか入れて欲しい云々・・・」と記した手紙を出しました。
 後日、わざわざ西武から返事を頂きました。「黄色化は冷房車をアピールする為で、赤電であると乗客
は新宿線には冷房車が少ないと誤解されがちであること、又黄色は101系も含め武蔵野・奥武蔵の緑に
映える塗色であり云々・・どうぞご理解下さい」といった内容だったと思います。
 理由はある程度わかりましたが、個人的には単色の701系は好きになれず、それ以来黄色の701系に
カメラを向けることは有りませんでした。今思えばそんな事ことに構わず、もっと色々写しておけばと後悔
しています。 でもやはり701や101低運車は赤電塗りの方が似合っていたと今でも思っています。

塗装見本車 S43年  入間市
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赤電塗装の159F 801系を髣髴させとても似合っていました。 
一週間で元の黄色に戻されてしまいました。もったいないです。   横瀬  2001年
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 黄色と言えば、最近JR西の旧型鋼製電車のご当地塗装にも閉口します。僅かな塗装費コスト下げの為
とはいえ、電車の種類に構わず単色ベタ塗り化には個人的には全く理解できません。
鉄道会社の商品は、定時運行と判り易いダイヤ、それに快適な車両だと思います。古くても良いのです。
綺麗に整備され毎日利用する人が好感を持てる車両であれば。広島の115系更新色などシックで良い
センスだと思いますが、一色茶黄色で塗り直されて全検出場してくると、正直がっかりします。勿論当初に
会社に「個人的感想」を提言しましたが、定型的返答が帰ってきただけでした。
今は、全車が一色化される前にこの施策が途中で変更されることを期待するのみです。

JR西 広島更新色 L02  2011年
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JR西 単色塗装化 L03  2011年
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だんだん愚痴っぽくなって来てしまいました。長くなると申し訳在りませんので今回はこの辺りで失礼します。

            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-25 19:12 | 西武鉄道 | Comments(4)
2012年 01月 24日

京王線昭和40年前後

 

今回は、個人的に西武に次いで馴染み深かった、京王線の昔話です。
京王線が劇的に近代化したのは、何と言っても5000系が登場した昭和38年です。
これまでの正面2枚窓側面3扉の関東標準型を脱し、パノラミックウィンドウに貫通路
付き正面、アイボリーに赤ひげ付き細帯と、画期的な外観でお目見え、同時に特急運用
も始まり正に画期的な新型車だったのです。1500V昇圧も同時に実施されています。
 当初4両編成5000系と増結用2両編成の5070系(足回りは2700系からの流用で釣り掛け
式駆動)が登場、増結用は途中から純新車になり、更に後に5100系と改称し3両編成とな
りました。 又通勤冷房車もこの5000系列が全国初の採用となりました。
全述のようにカルダン車と釣り掛け車の併結も普通に行われ、特急運用では釣り掛け車が
カルダン車にぶら下がって高速運転しておりました。
個人的には、この5000系は今でも京王線随一の名車と思います。後の6000系列はどう見ても
好きになれませんでした。
この5000系の顔付き、後に登場した西武2000系にも影響しているように思います。




 2010系は全電動車方式の2000系の後継で、中間T車2両を挟む2M2Tを建前とした4両
編成でした。当初は中間サハに元京王電軌110系列のサハ2550型をそのまま組み込んだ
非常に不揃いな珍編成もありました。  昭和39年
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こちらは同じ2010系ですが、当初特急運用の5000系が充足されるまで特急にも使う為、
アイボリー塗装されています。   高幡不動~多摩動物公園  昭和42年
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増結用2両編成5070系5078(釣り掛け車)を先頭にした快速新宿行き。 高幡不動付近 昭和39年
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5752編成快速新宿行   つつじヶ丘     昭和39年
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2010系急行新宿行  オールグロベン PS13パンタの国電ライクな屋根上編成
                  つつじヶ丘    昭和39年
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初の通勤冷房車となった5000系5018編成と、5100系5119編成。この写真は3両編成の
5119編成。  高幡不動~多摩動物公園  昭和43年
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この編成は、元京王電軌14m車の2400,2125型を1500V昇圧時に動物園線区間運転等支線
用として残された唯一の編成で、クハ231・デハ221+クハ232・デハ222の4連を組みました。
しかし、昭和44年ATS対応が困難ということで用途廃止となります。  
 高幡不動駅  昭和43年
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-24 23:21 | 京王電鉄 | Comments(4)
2012年 01月 23日

東京国電ところどころ 昭和37年


 昭和30年代中頃になると、東京の国電も大分カラフルになって来ました。中央線は
オレンジバーミリオンの101系に統一、次は山手線ということでカナリヤ色の101系が
投入されましたが、もともと電動車比率の高い101系は不経済と言うことで、翌年103系
の試作車がウグイス色に仕立てられ池袋電車区に配置され、4+4の8連で暫く走り、翌年
から8連で量産車が出場、瞬く間に山手線を103系に置き換えてしまいました。
山手線の101系は、カナリヤ色のまま総武緩行線に配転となりました。
しかしそれ以外のゲタ電線区では、相変わらず茶色の73系が幅を利かせていました。

写真は中央線の101系試作車の101-901です。DT21をエアサスに改造し高速試験に供せられ
151系製作のデーター採りに生かされました。
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こちらは、その151系です。クロ151は羨望の的でした。特急用は国電とは言いませんね。
浜松町にて。海側で新幹線の路盤工事をしています。
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同じ場所で、スカ線76系。中間に32系サロ45が入っているようです。
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当時山手線に一時的に入っていた、カナリア101系。短期間で103系に置き換わりました。
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秋葉原に上がって待機する、”準急ながら”153系です。
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日暮里の跨線橋よりキハ58とモハ80系300台
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そして、国電では有りませんが新大久保から西武新宿線を望む。451系の天下でした。
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by tetudankai5501 | 2012-01-23 22:43 | 国鉄時代 | Comments(0)
2012年 01月 22日

西武拝島線開通の頃


                       拝島線試運転前  第4種踏切
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今回は、再び西武線の昔話です
 拝島線は昭和43年5月15日にそれまでの玉川上水終点であったものを国鉄拝島駅まで
延長して開業した路線で、西武秩父線開通の1年5ヶ月前でした。
 拝島線の敷設経緯は複雑で、まづ(本)小平・萩山間が昭和3年多摩湖鉄道小平線として開業。
次に小川・玉川上水間が昭和25年開業。更に昭和37年萩山・小川間が開通。(一部旧ブリジストン
工場線利用)。この時から小平~玉川上水間を上水線と呼称。新宿線から直通運転開始となります。
当時の直通列車の大部分は、玉川上水・多摩湖行きの併結運転で、萩山で解放・連結が常態化
していました。
 昭和43年5月、玉川上水・拝島間が開通。これを契機に小平~拝島間を拝島線と呼称します。
昭和54年青梅橋駅を東大和市に改称。同58年玉川上水・西武立川間に武蔵砂川駅が新設されます。
拝島線開通に当たっては、拝島駅直前に、米軍横田基地への貨物引込み線と平面クロスすることから、
運転開始に当たっては国鉄側から必ずATSを設置するよう要請があり、西武が拝島線については
開業当初からATSを使用することとし、その為に当時ATS設置車が701・801系等4連口新車から
順次施工中であったので、優先的にこれ等の車両を用いて運転されました。従って開業当初は特に
日中などは輸送力過剰状態を余儀なくされましたが、2連口にもATS設置が進むと日中は次第に
に2両編成車の運用が増えて来たと言う経緯がありました。


                          (各写真はクリックで原寸となります)
拝島線開通翌日  拝島駅に進入する701系   昭和43年5月16日
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西武拝島駅  昭和43年5月16日
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西武立川を出発する拝島行  昭和43年5月16日
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西武立川~拝島間  昭和43年5月16日
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同上区間にて      昭和43年5月16日
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同区間にて    1462+425      昭和43年5月16日
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未だ武蔵砂川駅は在りません。  昭和43年5月16日
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開業祝賀モール  西武立川と拝島西武口      昭和43年5月
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以下は拝島開通以前の玉川上水止まり時代です。

   玉川上水・多摩湖行併結 311系 330+1329 花小金井~小平  昭和39年10月
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   上水線玉川上水行き  311系 1332+321  青梅橋付近 昭和37年9月
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   上水線西武新宿行き  311系 335+1336 萩山駅  昭和37年9月
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   上水線西武新宿行き 451系 1440+459 青梅橋駅   昭和37年9月
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玉川上水駅側線に留置されていた、ホキ81形83。同型でホキフも有りましたね。
 昭和43年5月16日
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-22 22:53 | 西武鉄道 | Comments(6)
2012年 01月 21日

山陽本線


今回は、地元の山陽本線の近況などを少し書いてみます。
と言っても特に変わった事は無く、相変わらず旅客列車は、昭和で時計が止まったままで、
113・115系と稀に103系が走るのみなのです。113系や115系はグロベン初期車や117系改造車
広島型3000代2扉車等種類は豊富で、旧型国電のお好きな方は興味が尽きないと思います。
しかし、体質改善車も多くN40やN30実施車は転換クロスシートに置き換えられており、古い車ば
かりですが其れなりに手は入れられて、座席については新車と較べ余り遜色の無い仕様とは成って
います。
広島地区では、103系以外は広ヒロ車、広セキ車共4両が基本で、朝・夕は2本併結の8連で運用されます。
103系はD編成と称して、3両ワンマン対応編成でトイレ付きです。主として呉線快速運用に用いますが、
山陽本線にも朝方3連のまま由宇まで一往復入ります。
かつてはブルトレ始め、長距離特急や急行が頻繁に往来していた訳ですが、最早それらは一本も無く、
上記通勤型電車達が行き交うのみで寂しい限りです。


 EF66123コンテナ列車 2011年4月 玖波~大野浦(各画像はクリックで原寸になります)
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 EF210145の牽くコンテナ列車   2011年4月  玖波~大野浦
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 御馴染み桃太郎EF210-165     2011年4月   西広島~横川
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 E657甲種輸送列車  2012年1月   五日市~新井口
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西武30000系甲種輸送列車38111F   2011年10月  山陽本線 大畠付近
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 115系N40体質改善車8連   2011年4月   西広島~横川
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 115系N40体質改善車4連   2011年4月   玖波~大野浦
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 115系平清盛HM付きL15編成  2012年1月  五日市~新井口  NHK大河ドラマ放送開始記念号  
 折角HM付きで宣伝するのなら、223系位持ち込めば良かったのにと思います。
 過去に新駅開業記念列車として広島で223系の運転実績があります。
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 103系D01編成 2011年4月 西広島~横川
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by tetudankai5501 | 2012-01-21 23:40 | JR西日本 | Comments(0)
2012年 01月 20日

国分寺線のこと

 国分寺線は、川越鉄道の本線であった甲武鉄道国分寺と川越間が、新宿線の開通
によって東村山で分断され、支線扱となってしまった経緯がありますが、最近は拝島線
小川以西及び新宿線所沢以北からの中央線国分寺経由の旅客が増加する傾向にあるようで、
西武にとっても痛し痒しの状況と思われます。拝島快速や、特急の試験運転等はその対策の
一環でしょう。しかし、近年は区間運転の枠を超えて、本川越や新所沢直通運転列車も少数
ながら運行していますが、相変わらず6連のままですね。本線で余剰となった3000系は編成を
6連に短縮して、活路も見出したようです。何れにしても、西武にとって微妙な位置付けの
路線だと思います。
昭和44年秩父線開通後は、当線にもF級電機E851の牽くセメント列車が走っておりました。
 写真は、例によって昔のものばかりで恐縮です。

中央線と暫く並行して国分寺駅に進入する451系455F。 昭和40年8月  国分寺
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国鉄と共同使用駅国分寺に到着する同車。編成は456+1486+1485+455 暫定4連
同種の編成に、483+1483+1484+484がありました。この2本のサハは元々301と編成
を組んでいた車達です。上方に多摩湖線国分寺駅が見えます。 昭和40年  国分寺駅
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荷電は小川駅まで来ていたと思います。クモニ2(元国鉄クモハ14100→西武クモハ352→252) 
  小川駅 昭和43年
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東村山駅を発車して暫くすると、新宿線と分かれます。
 559F4連線内区間列車  昭和43年
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by tetudankai5501 | 2012-01-20 03:52 | 西武鉄道 | Comments(6)
2012年 01月 18日

西武の旧社形 その2

 昭和30年代に残った旧社形は151形、211形、221形、231形、1231形、241形そして301形でした。
これ等の内、151形と221形が旧西武鉄道、それ以外は武蔵野鉄道の車両です。

 151形は昭和初期に各地の私鉄に納入された川崎造船標準型の鋼製車で西武では最も
両数の多い(21両)社形でしたが、その全てが昭和41までに他社に譲渡されています。
 221形は旧西武最後の新造車で、昭和16年梅鉢製で窓上ヘッダーの無い優美な車体でした。
当初はTR25系の台車を履き、一段上昇窓だったそうです。これも全10両が他社に譲渡され
ています。
 211形は大正15年から昭和2年にかけて、川崎造船・日本車両の2社で計10両製作された
3扉車ですが、2社で窓配置に相違が有る厳つい形をした車でした。これも全10両が他社譲渡
されました。
 231形は昭和3年度に川崎造船で計8両製作された2扉クロスシート車でしたが、後に3扉ロング
シートに改造されています。211形同様武蔵野初期鋼製車特有の厳つい姿をしておりました。
 1231形は昭和15年度に制御車のみ7両作られた3扉車ですが、製造は1232梅鉢、1233・1234
日本鉄道自動車、1235~1238木南車両と3車に分かれていますが形態に大きな相違は無かった
ようです。これも全車他社に譲渡されましたが、この内一畑に行った1232が昭和37年西武に出戻
って162となり、その後クモニ1となったのは前述した通りです。
 241形は武蔵野鉄道随一の有名な広窓クロスシート2扉の全鋼製車で川崎造船で4両製作され
ましたが、後にロングシート化され是政線など支線で運用されましたが、更に3扉化大改造を施さ
れて池袋線に返り咲きました。しかしその3年後には早くも廃車となり近江に4両とも譲渡されました。
 301形は昭和17年武蔵野最後の新造車として4両が木南車両で製作されました。木南特有の
窓の大きな優美で均整のとれた形態は戦後も陳腐化することなく、旧社形唯一国鉄型標準制御器
(CSー5)化され昭和39年まで活躍しました。

写真はモハ231形 234+235(クハ代用) 萩山 昭和36年 (友人H氏撮影)
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写真はモハ151形 154+1153  武蔵境  昭和36年
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写真は最後まで残った1段下降窓車クハ1211形 1216+381  上水線  昭和36年
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こちらは、堂々朝の急行の先頭に立つ302以下8連の池袋行きです。
301F+421系×2   保谷~ひばりヶ丘 昭和37年
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by tetudankai5501 | 2012-01-18 01:23 | 西武鉄道 | Comments(5)