団塊鉄ちゃん気紛れ撮影記

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2012年 01月 25日

黄色い電車



 西武がいわゆるレモンイエローの塗色を採用したのは、勿論昭和43年末に登場した101系列が
最初ですが、この塗色を採用する半年位前に701系を用いて塗色見本車が仕立てられました。
正面は黄色一色、側面は窓周りを従来の赤電と同様のトニーベージュに、腰周り・窓上は
黄色で腰周り塗り分けラインは従来の赤電と同じ位置でした。私が見たのはドアーも同様の
塗り分けだったのですが、一時期ステンレスドアを模したのか、銀色塗装化したことがあったようです。
結局、この701系塗装見本車と同様な塗装で、101系第一編成は出場しました。ドアーはSUSの
無塗装で外見上のアクセントになっていました。

101系出場前の701系塗装見本車 747F S43年  小手指区
(各画像はクリックで原寸になります。)
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通常塗装 751F  S43  小手指区
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車体形状は、従来の801系と全く同様でしたので、私はこの塗装にはかなり抵抗を禁じ得ませんでした。
元々、701系の正面形状と塗りわけラインは一体でデザインされたもので、SUSの飾り板、前照灯の
位置は塗り分けラインと合致するように考えられていたからです。
 編成全体として遠目で眺めた場合は、黄色い車体に側面のベージュがアクセントでになって、いかにも
全く新しい系列というアピールを打ち出したかったかったのでしょう。でも正面単体で眺めた場合、単色
黄色坊主は前述の理由で最後まで馴染めませんでした。

左1101  右1791(ATS試験車) 小手指区    
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 もっとショックだったのは、701系冷改車が黄色単色に塗り変られた時でした。忘れもしない新狭山で
601系を組み込んだ6連冷改車第三編成試運転車が真黄色に塗られていたのを目撃した時です。
側面を見てもベージュ色が無いのです。
 若気の至りで、早速西武に長々と上記の様な理由で「701系列の一色化は困ります。せめて正面窓周り
をブラックアウトのアクセントとか入れて欲しい云々・・・」と記した手紙を出しました。
 後日、わざわざ西武から返事を頂きました。「黄色化は冷房車をアピールする為で、赤電であると乗客
は新宿線には冷房車が少ないと誤解されがちであること、又黄色は101系も含め武蔵野・奥武蔵の緑に
映える塗色であり云々・・どうぞご理解下さい」といった内容だったと思います。
 理由はある程度わかりましたが、個人的には単色の701系は好きになれず、それ以来黄色の701系に
カメラを向けることは有りませんでした。今思えばそんな事ことに構わず、もっと色々写しておけばと後悔
しています。 でもやはり701や101低運車は赤電塗りの方が似合っていたと今でも思っています。

塗装見本車 S43年  入間市
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赤電塗装の159F 801系を髣髴させとても似合っていました。 
一週間で元の黄色に戻されてしまいました。もったいないです。   横瀬  2001年
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 黄色と言えば、最近JR西の旧型鋼製電車のご当地塗装にも閉口します。僅かな塗装費コスト下げの為
とはいえ、電車の種類に構わず単色ベタ塗り化には個人的には全く理解できません。
鉄道会社の商品は、定時運行と判り易いダイヤ、それに快適な車両だと思います。古くても良いのです。
綺麗に整備され毎日利用する人が好感を持てる車両であれば。広島の115系更新色などシックで良い
センスだと思いますが、一色茶黄色で塗り直されて全検出場してくると、正直がっかりします。勿論当初に
会社に「個人的感想」を提言しましたが、定型的返答が帰ってきただけでした。
今は、全車が一色化される前にこの施策が途中で変更されることを期待するのみです。

JR西 広島更新色 L02  2011年
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JR西 単色塗装化 L03  2011年
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だんだん愚痴っぽくなって来てしまいました。長くなると申し訳在りませんので今回はこの辺りで失礼します。

            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

# by tetudankai5501 | 2012-01-25 19:12 | 西武鉄道 | Comments(4)
2012年 01月 24日

京王線昭和40年前後

 

今回は、個人的に西武に次いで馴染み深かった、京王線の昔話です。
京王線が劇的に近代化したのは、何と言っても5000系が登場した昭和38年です。
これまでの正面2枚窓側面3扉の関東標準型を脱し、パノラミックウィンドウに貫通路
付き正面、アイボリーに赤ひげ付き細帯と、画期的な外観でお目見え、同時に特急運用
も始まり正に画期的な新型車だったのです。1500V昇圧も同時に実施されています。
 当初4両編成5000系と増結用2両編成の5070系(足回りは2700系からの流用で釣り掛け
式駆動)が登場、増結用は途中から純新車になり、更に後に5100系と改称し3両編成とな
りました。 又通勤冷房車もこの5000系列が全国初の採用となりました。
全述のようにカルダン車と釣り掛け車の併結も普通に行われ、特急運用では釣り掛け車が
カルダン車にぶら下がって高速運転しておりました。
個人的には、この5000系は今でも京王線随一の名車と思います。後の6000系列はどう見ても
好きになれませんでした。
この5000系の顔付き、後に登場した西武2000系にも影響しているように思います。




 2010系は全電動車方式の2000系の後継で、中間T車2両を挟む2M2Tを建前とした4両
編成でした。当初は中間サハに元京王電軌110系列のサハ2550型をそのまま組み込んだ
非常に不揃いな珍編成もありました。  昭和39年
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こちらは同じ2010系ですが、当初特急運用の5000系が充足されるまで特急にも使う為、
アイボリー塗装されています。   高幡不動~多摩動物公園  昭和42年
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増結用2両編成5070系5078(釣り掛け車)を先頭にした快速新宿行き。 高幡不動付近 昭和39年
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5752編成快速新宿行   つつじヶ丘     昭和39年
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2010系急行新宿行  オールグロベン PS13パンタの国電ライクな屋根上編成
                  つつじヶ丘    昭和39年
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初の通勤冷房車となった5000系5018編成と、5100系5119編成。この写真は3両編成の
5119編成。  高幡不動~多摩動物公園  昭和43年
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この編成は、元京王電軌14m車の2400,2125型を1500V昇圧時に動物園線区間運転等支線
用として残された唯一の編成で、クハ231・デハ221+クハ232・デハ222の4連を組みました。
しかし、昭和44年ATS対応が困難ということで用途廃止となります。  
 高幡不動駅  昭和43年
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

# by tetudankai5501 | 2012-01-24 23:21 | 京王電鉄 | Comments(4)
2012年 01月 23日

東京国電ところどころ 昭和37年


 昭和30年代中頃になると、東京の国電も大分カラフルになって来ました。中央線は
オレンジバーミリオンの101系に統一、次は山手線ということでカナリヤ色の101系が
投入されましたが、もともと電動車比率の高い101系は不経済と言うことで、翌年103系
の試作車がウグイス色に仕立てられ池袋電車区に配置され、4+4の8連で暫く走り、翌年
から8連で量産車が出場、瞬く間に山手線を103系に置き換えてしまいました。
山手線の101系は、カナリヤ色のまま総武緩行線に配転となりました。
しかしそれ以外のゲタ電線区では、相変わらず茶色の73系が幅を利かせていました。

写真は中央線の101系試作車の101-901です。DT21をエアサスに改造し高速試験に供せられ
151系製作のデーター採りに生かされました。
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こちらは、その151系です。クロ151は羨望の的でした。特急用は国電とは言いませんね。
浜松町にて。海側で新幹線の路盤工事をしています。
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同じ場所で、スカ線76系。中間に32系サロ45が入っているようです。
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当時山手線に一時的に入っていた、カナリア101系。短期間で103系に置き換わりました。
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秋葉原に上がって待機する、”準急ながら”153系です。
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日暮里の跨線橋よりキハ58とモハ80系300台
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そして、国電では有りませんが新大久保から西武新宿線を望む。451系の天下でした。
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

# by tetudankai5501 | 2012-01-23 22:43 | 国鉄時代 | Comments(0)
2012年 01月 22日

西武拝島線開通の頃


                       拝島線試運転前  第4種踏切
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今回は、再び西武線の昔話です
 拝島線は昭和43年5月15日にそれまでの玉川上水終点であったものを国鉄拝島駅まで
延長して開業した路線で、西武秩父線開通の1年5ヶ月前でした。
 拝島線の敷設経緯は複雑で、まづ(本)小平・萩山間が昭和3年多摩湖鉄道小平線として開業。
次に小川・玉川上水間が昭和25年開業。更に昭和37年萩山・小川間が開通。(一部旧ブリジストン
工場線利用)。この時から小平~玉川上水間を上水線と呼称。新宿線から直通運転開始となります。
当時の直通列車の大部分は、玉川上水・多摩湖行きの併結運転で、萩山で解放・連結が常態化
していました。
 昭和43年5月、玉川上水・拝島間が開通。これを契機に小平~拝島間を拝島線と呼称します。
昭和54年青梅橋駅を東大和市に改称。同58年玉川上水・西武立川間に武蔵砂川駅が新設されます。
拝島線開通に当たっては、拝島駅直前に、米軍横田基地への貨物引込み線と平面クロスすることから、
運転開始に当たっては国鉄側から必ずATSを設置するよう要請があり、西武が拝島線については
開業当初からATSを使用することとし、その為に当時ATS設置車が701・801系等4連口新車から
順次施工中であったので、優先的にこれ等の車両を用いて運転されました。従って開業当初は特に
日中などは輸送力過剰状態を余儀なくされましたが、2連口にもATS設置が進むと日中は次第に
に2両編成車の運用が増えて来たと言う経緯がありました。


                          (各写真はクリックで原寸となります)
拝島線開通翌日  拝島駅に進入する701系   昭和43年5月16日
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西武拝島駅  昭和43年5月16日
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西武立川を出発する拝島行  昭和43年5月16日
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西武立川~拝島間  昭和43年5月16日
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同上区間にて      昭和43年5月16日
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同区間にて    1462+425      昭和43年5月16日
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未だ武蔵砂川駅は在りません。  昭和43年5月16日
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開業祝賀モール  西武立川と拝島西武口      昭和43年5月
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以下は拝島開通以前の玉川上水止まり時代です。

   玉川上水・多摩湖行併結 311系 330+1329 花小金井~小平  昭和39年10月
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   上水線玉川上水行き  311系 1332+321  青梅橋付近 昭和37年9月
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   上水線西武新宿行き  311系 335+1336 萩山駅  昭和37年9月
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   上水線西武新宿行き 451系 1440+459 青梅橋駅   昭和37年9月
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玉川上水駅側線に留置されていた、ホキ81形83。同型でホキフも有りましたね。
 昭和43年5月16日
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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

# by tetudankai5501 | 2012-01-22 22:53 | 西武鉄道 | Comments(6)