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東上線と西武線



 西武沿線には昭和30年代前半から、昭和50年代前半まで約20年ほど住んでいました。
桜台在住時代は、大抵暇さえあれば西武は練馬、東上線は東武練馬で飽きずに電車を眺めていました。
昭和30年代中期なのですが、東京の他の私鉄・国電共に高性能車が次々に登場する中、依然として
練馬区を走るこの2私鉄線だけは高性能車とは無縁でした。
 西武は車体だけ新しいが、下回りは省線そのままの騒音吊り掛けセミ新車、東上線は新車では有るが
旧態依然とした7800型を相変わらず量産していました。従って練馬区内では都内唯一カルダン車の軽快
な音を聞くことは出来ません。稀に東急7000系や営団3000系等に乗車すると、別世界の乗り物の様に
感じたのでした。
 そんな均衡を先に破ったのは西武初の601系カルダン車だったのですが、これまたTc台車がTR11と縁の
切れない中途半端な新製能車?だったのです。モハの台車も国電101系と同じDT21でした。でも今までの
吊り掛け車とは一線を引く画期的な走行音が好きでした。居宅が線路際だったこともあり、早朝深夜には練
馬や江古田進入時頃から軽快なジョイント音が未だ当時静かだった街に響いて、西武もやっと中央線並み
になったと喜んでおりました。
 ところがそれも束の間、1年後の昭和38年に今度はお隣東上線に颯爽と純新車8000系がデビューしたのです。
池袋で始めてみた時は、これは西武の完敗だと思いました。なにしろ4ドア両開き、台車はミンデン型でエア
サス装備の完全なる新車なのですから。
 西武はその頃相変わらず、701系を量産していました。

まづ、高性能車とは無縁だった頃の両線の姿を掲げてみます。



こちらは、東上線休日急行7800系 志木駅 昭和37年
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こちらも、東上線7300型原型車  東武練馬付近  昭和36年
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この車は、上記7300の車体更新車です。台車、グロベン、パンタ、連結器などに原車
車の面影を残しています。7800形とは普通に連結していました。  昭和36年
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こちらは、西武最後の吊り掛車(2連増結用や中間改造の411系や571,491は一応除きます)新製561F試運転。
秋津駅 昭和37年4月
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ようやく、新性能車出現です。
西武601F 保谷  昭和37年
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東武8000系(本線にて番号不詳)  昭和42年
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東武と西武(池袋線)、かつては共に貨物列車も多数運行し、駅の佇まいも「鉄道」に相応しい雰囲気が
似ていました。今も同じAトレインの通勤車を増備する等若干共通するところがありますね。

            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)
by tetudankai5501 | 2012-01-15 21:36 | 東武鉄道 | Comments(2)
Commented by 風旅記 at 2016-09-13 23:47 x
こんばんは。
いつも拝見させて頂いています。
東武の8000系が走り始めたときの印象、今ならばどのような車両でしょうか。初めてVVVF制御の車両に出会ったときかもしれません。または、新しい世代の電気式の気動車や、近年走り始めた蓄電池車かもしれません。
正直なところ、次々と新しい車両が登場し、吊り掛け車から新性能車に代わったとき程のインパクトは感じなくなっているのかもしれません。
往時の貴重なお写真を拝見し、日々の鉄道に新しい発見や気づきを探してみたいと感じました。
いつも楽しく拝見しています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2016-09-14 18:11 x
風旅記さま
ご覧いただき有難うございます。昭和30年代大手私鉄
に次々と今までの吊り掛け車と一線を画すカルダン車
が続々と登場する中、唯一西武だけは黙々とセミ新車
を造り続けました。当時の経営者の方針であった訳です
が、旧型の部品が底をついて止む終えずカルダン車に
踏み切ったのはもう昭和37年になってからでした。
東武もカルダン車は優等列車優先で通勤車は地下鉄用
2000系からでした。一般用通勤カルダン車の8000系は
昭和38年と遅かったわけですが、こちらは私鉄では未だ
少なかった20m4扉車の先駆けで、2M2Tで電制を省略
した経済車ですが台車には当時珍しかったミンデン型の
エアサス仕様でソフトな乗り心地の素晴らしい車両でした。
ただ製造両数が膨大でしたから、後年廃車が遅れいろいろ
揶揄されたのは気の毒です。しかし残存車の一部に往年の
懐かし塗装を再現された8000系は幸せなのかも知れません。
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