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最後の赤電西武801形

 

  701系から101系に繋ぐ赤電最終形
                           
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                                    (各写真はクリックで原寸になります)




 今回は、少し順番が違いますが最後の赤電として有終の美を飾った801形を取り上げました。
早いもので、801系も登場からもう44年が経過しました。今は流鉄と上信電鉄に各1編成現存
するだけとなってしまいましたが、何とか長生して貰いたいと思います。
701系が大量生産され、昭和42年に番号が796までと48編成の大世帯となりましたが、このまま
増備すれば800代に突入と言うことで、気を揉みましたが寸前で製造終了となり事なきを得ました。
 新形式801形は、701形の改良版で、赤電としてはほぼ完成の域に達したと思いました。



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編成基本構成は701形に準じましたが、車体は半年前に製作された423以降同様にセミ張上屋根
タイプに変更され、外見上とても洗練された姿となり、最後の赤電に相応しい車両と言えましょう。
床下機器配置は701系と同様、奇数電動車に補機類、偶数電動車に制御機器が搭載されていまし
たが、MGを初の交流式12KVAと増強、室内灯の40W化が計られ明るい車内となります。
701形との最大の相違点は、制御車の台車に初の新造エアサス式FS067を採用、西武初の完全な
新車となった記念すべき形式であります。この新台車はインダイレクトマウント方式で、ボルスタ
アンカーは台車に付いていましたので、在来車の台車交換にも容易に対応出来るよう設計された
ものと思いましたが、実際に本台車形式を踏襲したのは、吊り掛け車のDT10を置き換える目的で
作られたFS40に留まり、後のクハ1701形のTR-11A交換に当たっては、101系に採用されたダイレクト
マウント方式のFS072となりました。よって1801形のFS067台車は801系10両分のみが生産された事
となります。モハの台車は従来からのFS342をそのまま用いています。どうしてFS367を作って統一
しなかったのかが不思議です。ラッシュ時にはクハとモハで大きな段差が生じておりました。もっとも
西武では以前から、501系等でエアサス車と板ばね車と日常的に連結していたので、問題なかった
ようですが、見た目にはとても気になる光景でした。


   809F 小手指検車区   昭和43年
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   801F新製当初    武蔵藤沢~稲荷山公園    昭和42年11月
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   同じく801F  武蔵藤沢~稲荷山公園   昭和42年11月
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1802 この滑らかな側面が綺麗でした。    所沢にて     昭和42年12月
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   801F     所沢にて     昭和42年12月

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   805F+351系   ひばりヶ丘~東久留米 昭和43年
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   大泉学園に進入する801F  クハ1802他 バラが綺麗な駅でした。   昭和42年
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    池袋を出発する1802他6連   昭和42年
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    801F   保谷付近   昭和42年
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 801形の登場は昭和42年で、翌年には西武秩父線開通を控え、新系列車に移行することから、僅か
5編成のみの少数が製造されるに留まります。701系をもっと早く801系に移行しておけば良かったの
にと外野の私などは思ってしまいました。
 尚西武車には、旧国電同様に室内ドア部にスタンションポールがずっと存在しましたが、701系
最終ロットから撤廃されており、当形式には最初から付いておりません。

製造当初は池袋線で使用されますが、101系が登場してからは新宿線系統で主に使われました。
いわゆる冷改・HSC制動化は昭和53年から58年に亙って行われましたが、この時他の冷改車同様
黄色一色に塗装変更されて赤電に別れを告げました。冷改後は車体外観が101系と類似なことから
一見見違える事がありました。冷改直後は池袋線に再配置されますが、後に701系類冷改車の新宿線
集結により配転が行われています。

  クハ1809   小手指検車区    昭和43年
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  同第二エンド     小手指検車区     昭和43年
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  モハ809       小手指検車区     昭和43年
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  モハ810       小手指検車区     昭和43年
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  クハ1810第二エンド   小手指検車区    昭和43年
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  810+1810         小手指検車区    昭和43年
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  クハ用台車FS067 西武初の新製エアサス台車です 
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車内風景クハ1801   昭和42年  大泉学園~石神井公園
昼下がりの池袋行き。未だ吊り広告も無い真新しい車内。乗客の姿に昭和を感じます。
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801系の赤電カラー写真がありませんので、雰囲気で159Fです。 H13年10月
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編成表
1801+801+802+1802(S42新製)S53冷改・HSC化→上信クモハ154+クモハ153 (H6年)
1803+803+804+1804(S42新製)S53冷改・HSC化→流鉄クモハ2001+クモハ2002(H6年)
1805+805+806+1806(S43新製)S58冷改・HSC化
1807+807+808+1808(S43新製)S58冷改・HSC化→807+808部品取車として 近江へ
1809+809+810+1810(S43新製)S58冷改・HSC化→流鉄クハ22+モハ2102+クモハ2004(H9年)


譲渡表
801→上信クモハ154
802→上信クモハ153
803→流鉄クモハ2001
804→流鉄クモハ2002
809→流鉄クモハ2004
810→流鉄 モハ2102

1801→上信クモハ154(運転台のみ移設)
1802→上信クモハ153(運転台のみ移設)
1803→流鉄クモハ2001(運転台のみ移設)
1804→流鉄クモハ2002(運転台のみ移設)
1809→流鉄クモハ2004(運転台のみ移設)
1810→流鉄  クハ22

            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)





 

by tetudankai5501 | 2012-02-13 21:34 | 西武鉄道 | Comments(9)
Commented by 清68 at 2012-02-14 00:10 x
今晩は。
いつも美しい写真を楽しませていただいております。
今回は801系ということで、特に美しい車体が際立っていると思います。有難うございます。
赤電801系は新宿線の電車という印象でしたが、ごく稀に池袋線に来ました。
西武球場でデーゲームの開催日、新宿線からの直通運用の間合の関係なのか、赤電の8連2編成が急行やら準急やらで池袋線を走り回るのです。既に日中の赤電運用は皆無な頃(昭和56-7年)で、その中を疾駆する赤電の長編成は正に白昼夢でした。デーゲームの開催日を指折りしながら心待ちにしたことは言うまでもありません。
車種は20m車ALLで、801もいました。ある日、801系の8連が現れました。編成全長に亘って張り上げで統一された奇跡を目の当たりにして、完全に参りました。ステンレスドアでさえこうです。オリジナルであったなら、卒倒間違いなしです。
その頃、411系を作ろうと思って買ってあったGMの101系キットがあっという間に801系になってしまったのは当然の成り行きでした。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-14 02:24 x
清68様 ご覧頂き有難う御座います。
 801系は赤電の最終形にふさわしく、完成された美しさで大好きな
車両でした。西武車の進化は別の項にも書きましたが、いつもオーバー
ラップしながら進みましたから、423~が登場した時に、次の801系は
701系の張り上げ屋根タイプになることは容易に想像できましたね。
デビュー当初(昭和42年11月)の第一編成は池袋線、次の第二編成
は新宿線と当初は約半数毎の配置だったと思います。
 赤電801系のみの8連を撮りたくて、何度か挑戦した事が有りましたが、
叶いませんでした。ただ一度だけ池袋線でその8連を見た事は有りました。
美しかったこと未だに覚えています。同じ車体で後日黄色の101系8連を
日常普通に見ていた訳ですが、何も感銘を受けなかったのは、やはり
赤電のなせる技だったのでしょうか?。
Commented by つのすけ at 2012-02-14 23:14 x
団塊鉄ちゃん様、801系ありがとうございます。
私が西武線に興味を持ち始めた頃は、丁度801系がステンレスドアに交換され始めた時期でした。
801系は701系譲りの正面スタイルと411系譲りの雨どいを持ち上げたデザインで、雨どい下の赤のラインが美しいと感じます。西武の車輌で一番美しいと思うのは赤電・ステンレスドアの801系で、特にパンタ付きモハはお気に入りです。形式図を見ると車体寸法は701系とは微妙に違っているようですね。
新宿線で良く目にしましたが、2連と組んだ6両の時、西武新宿寄りにクハ1411型が先頭で、後ろが801系だと編成がガタガタでがっかりしたものです。
801系の8両を見たことがあります。多摩湖行きの不定期急行の運用でした。いつか写真をUPしますね。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-15 00:53 x
つのすけ様 今晩は。
 801系は、私も西武で一番好きだった電車です。701系には無い何と
言うのか気品が有りました。本数が少なかったので乗るのも、撮るのも
チャンスが少なかったからでしょうか、希少価値がありましたね。
 昭和42年になっって、やっと完全な新車が出来た訳ですが、それ以降の
西武車の発展は目を見張るものがありました。
Commented by ホビぽっぽ at 2012-02-16 23:23 x
団塊鉄ちゃん様 こちらのサイトではお初になりますがよろしくお願いします。

TR-11台車は60系鋼体化客車の余剰品に加え大正木造国電の廃車、はては103系大増備で玉突きになった17m国電などさんざん集めたと聞いています。
同一形式でそろえておくことは予備部品の関係、現場作業の統一化でコスト上有利なことですが、さすがに801系の時には「玉切れ」になったという話を聞いたことがあります。
M台車にしてもすでに101系の構想~設計まで進んでいたでしょうから、必要以上の開発コストを避ける意味でもFS367が実現しなかったことは納得できます。

別形式ですがあくまでも「701のマイナーチェンジ」から脱しきれなかったところや輌数の点でも“つなぎ役”に終わったことが残念です。
仲間内では「百位が偶数の赤電形式は恵まれてない」というジンクスのような話題にもなりました。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-17 00:19 x
ホビぽっぽ様 ご覧頂き有難う御座います。
 701系などのTR-11、色々物色して掻き集めたのですね。当時朝のラッシュ時池袋寄りの
先頭車のTR-11など乗客の重量でバネが経たってしまわないかと心配したものです。
 百位が偶数の赤電は不遇だったと言えばそうも知れませんね。初代401形は4扉の
異端児でしたから、早々と廃車となりましたし、元一代目501形の411系は後から出来た
2代目411形に押しやられて351形になってしまいました。601形は早々とモハだけ701系
に取り込まれ、以来クハは流転の末早期に廃車になってしまいました。
 801系は、101系までの繋ぎということで少数派で終わってしまったこと。納得です。
興味あるお話、有難う御座いました。 今後ともよろしくお願い致します。
Commented by tetudankai5501 at 2018-07-08 17:02
まだ無い 様
古い記事をお読みいただき有難うございます。
大泉学園は昭和40年代に最寄りの駅として利用しておりました。当時もホームは今と
同様島式でしたが、跨線橋は無く構内踏切を渡って改札へ向かいました。写真は
その構内踏切から撮りました。件のバラは駅本屋周り、構内踏切付近、そしてホーム
下り線側道路沿いに多数植えられていたと記憶します。
「西武ニュース」昭和43年版とは叉随分古い記事をお読みになりましたね。懐かしいです。
801系電車の写真は昭和42年11月の撮影です。
Commented by 風旅記 at 2019-06-25 22:21 x
こんばんは。
こちらの記事も大変興味深く拝見させて頂きました。
赤電の時代を知らない私には、今の西武の姿と比べて隔世の感があります。列車の走る沿線の風景、列車の中の長閑な雰囲気、それを実際に知って今の様子を見れば尚更ではないでしょうか。
過渡期の車両だったのかもしれませんが、台車の違う車両を混在させての編成など、それまでの西武の「らしさ」が残っていた最後の車両なのかもしれません。
非冷房の車両が走っていた当時を思いながら、お写真を興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
Commented by tetudankai5501 at 2019-06-26 12:21
> 風旅記さん
 いつもご覧いただき有難うございます
西武赤電最終形801系は丁度西武電車が量から質へ脱皮する狭間に生まれた
新車でした。従来の中古台車を流用したセミ新車から中古部品を用いない初めて
の純粋な新車と言う意味で画期的な車両でした。
僅か5本の生産で終了し、次世代大量生産の101系に引き継ぎをしました。
車内風景は大泉学園から石神井公園間の池袋行き最後部です。
昼下がりの車内には西武デパートに向かう和服の年配の方や、親子ずれの姿が
なんとも懐かしい感じです。
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