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西武の荷物電車

 

所沢で秋津方から3番線に入線するクモニ4                      
                                      (各写真はクリックで原寸になります)
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 今回は、赤い荷物電車の思い出です。
 西武には元武蔵野5570モハ301形の内、301・303の2両が昭和36年まで半室が荷物室付きの実質
モハニとして存在しましたが、301形の荷物室撤去に伴い、単体の荷電として元国鉄木造モニ3412を昭和
35年に木造のまま復旧したのが荷物電車の始まりでした。モニ3411・3412の2両が昭和34年頃、上石神
井検車区に留置されていましたが、単に部品取りと思っていただけに、そのまま生き返り本線を闊歩し始め
たのには正直驚きました。片方の3411は部品取り後解体されました。
 この木造荷電はモニ1と称し、昭和38年まで使用されましたが、さすがに老朽化で耐えられず、
短期間で二代目モニ1に引継ぎました。

2代目モニ1は一畑出戻りの両運モハ162が当てられ、昭和38年1代目に引き継ぐ形で就役しました。当初
単行運転の為、HL制御のままでしたが、その後国鉄標準部品を備えた、クモニ2~4が就役した後併結の
必要上CS5に台車共々取り替えられました。
 続くクモニ2は元国鉄身延線で使用された、クモハ14100で昭和35年西武に払下、以降電装品を取られ
クハ代用モハ352としてモハ381と組んで狭山湖で使用され、その後電装されクハ1301形や1211形等と
組んで狭山湖急行等にも使われ、池袋まで出てきたことも有りました。しかし1形式1両の異端児でクロス
シートだったこともあり、昭和39年に荷電クモニ2に改造されます。改造後元運転台側は切妻に貫通路側は
貫通路を残した切妻スタイルとなり前後で形態の違う珍車となりました。
 更に昭和42年、元311系の335・338(元国電31系)の2両が荷電に改造されます。
こちらはほぼ原型を保っていますが、車体は張り替えられシール・ヘッダーの無いすっきりした形態でした。

                          
 初代の木造荷電モニ1    練馬   昭和36年
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 同じモニ1     富士見台~石神井公園     台車がいつの間にかブリルになっています
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 2代目クモニ1     武蔵藤沢~稲荷山公園  昭和40年
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クモニ1      萩山駅にて    昭和41年
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 クモニ1   国鉄型標準部品に置き換られています   昭和43年  (H氏撮影)
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 同上クモニ1     小手指検車区   昭和43年
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 クモニ2       秋津~所沢    昭和42年
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  クモニ4       小手指検車区   昭和43年
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クモニ4+クモニ1       
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 小川に停車中のクモニ2   昭和43年(再掲)
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  小川を萩山方向へ発車して行くクモニ2   昭和43年
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 車暦をまとめておきます。

初代モニ1  国鉄モニ3412(モハ10改造木造車)→西武モニ1(昭和35年)→廃車(昭和38年)
二代目クモニ1 武蔵野鉄道5855→1231→1232→一畑デハ11(昭和32年)→西武162(昭和36年)
          →クモニ1(昭和38年)→廃車(昭和51年)

 クモニ2   国鉄クモハ14100→西武モハ352(昭和35年)→クモニ2(昭和39年)→廃車(昭和52年)
 クモニ3・4  西武クモハ335・338→クモニ3・4(昭和42年)→廃車(昭和52年)


             (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)       
by tetudankai5501 | 2012-02-18 01:56 | 西武鉄道 | Comments(12)
Commented by 田駄雄作 at 2012-02-19 01:24 x
こんばんは.いつもお世話になります.
こちらには初めて書き込みさせて頂きます.よろしくお願いいたします.
まだ木造モニ1が現役だった頃,すでに保谷の庫には改造の済んだ2代目が留置されていて、その表記はクモニ1になっていました.ちょうど例の目隠し551系の後か横に居たと思います.想像するに現役モニ1と重複させないために、早々とクモニ表記にしていたのではないかと思います.
改造前のモハ162は西武園線で乗ったことがあります.出発前に車掌さんがドアを外側からカタンカタンとロックして回っていました.
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-19 03:07 x
田駄様 ご覧頂き有難う御座います。
 弊ブログを始めましたきっかけは、あちこち逸散している昔の記録を、少し纏て
整理しておこうと思ったのが発端なのですが、いざ始めてみますとかなり記憶が
曖昧な処が多く、当初の思いとは違って、単なる西武電車回顧録の様相を呈して
来ております。資料整理とは裏腹にあちこち話題が逸散してしまっておりますが、
今後とも御覧いただけたら、嬉しく思います。
 さて初代モニ1、初めに上石神井庫で旧国モニ3411・3412を見た時は、単なる
部品取り用に持って来たと思っていましたが、暫くして姿を眩ませたので、目的
を果たし、既に解体したこと思っていた矢先に何と木造車体のまま全身を真っ赤
に染めて本線を闊歩し始めたのには、本当に驚きました。
 気のせいか、車体が何時も傾いており大丈夫なのかと、心配しましたが色々
トラブルが絶えなかった様でした。早々に二代目に引き継ぎ正解でしたね。
それからクモニ1が最初にクを冠したモハだったとは、存じませんでした。
 それでは今後ともよろしくお願い致します。
Commented by ひろみや at 2012-02-20 12:39 x
荷電の活躍って意外に短い時期だったのですね。

私が昭和40年生まれですから、物心付いた頃には4両があちこち走り回っていました。

で、広島に引っ越したのが昭和52年。ですからその年に全廃になったわけですよね。確か、52年の5月頃は西武の鉄道小包はまだあったのでしょうか。この頃、転校前の小学校から届いた鉄道小包を五日市駅へ取りに行った覚えがあります。

荷電はブレーキが鋳鉄でしたから、入線するとすぐにわかりました。(私の頃は旅客車は全てレジンになっていました)
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-20 14:58 x
 ひろみや様 いつも有難う御座います。
 土曜日は、下松からのJRE657の甲種があったので、横川の太田川
橋梁脇に写真を撮りに行きました。広島辺りですと甲種輸送を写す
人も少なく、まして西武・東武の甲種などは殆ど写している人は見掛
けません。月末にはメトロ車が輸送されるようです。
 荷電ですが、4両共小手指配置でした。荷が多い便は2連も有りましたね。
池袋の貨物ヤード端の専用ホームで荷物扱いをしていた姿が昨日の
事のようです。
 一頃は、昼間一般の準急飯能行きの飯能寄り端半室を単に「荷物室」
と書いた幕で客室と仕切っただけの、代用荷電扱い車も有りました。
Commented by 清68 at 2012-02-20 22:13 x
 こんばんは。
 荷電だけ電気連結器がなく、不思議だったのを覚えています。
私もひろみや様と同じく4両揃った活躍を見ていました。
パンタを寄せあって併結したり、妙に軽い加速で発車していったりした姿が今しがたのことのように思い出されます。
 ある日、駅で電車を待っていたら、荷電がやってきて、超スローに減速した状態で荷物を放り出したら、再び加速して走り去った、という場面がありました。
 ホームにある業務用の時刻表には荷電の時刻も記されていましたので、もう一度その場面を見たいと思って何度か気にして見ていましたが、ついに二度と見ることはありませんでした。荷電は不定期だったのでしょうか。
Commented by つのすけ at 2012-02-21 00:22 x
皆さん荷電の思い出がいろいろおありですね。私も昭和40年代から西武線を見ていますので、4両の活躍を見ていました。
ある日カメラを持って所沢に行ったところ、クモニ1+2が5番線に入ってきて、そこで切り離しをしました。おそらく1両は飯能方面、もう1両は新宿線に向かって行ったのかと思いますが、荷電はダイヤがわからないので偶然遭遇するだけでした。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-21 00:33 x
清68様 今晩は いつも有難う居御座います。

荷物電車、特にクモニ1・2は共に稀有な車歴の持ち主で興味深かった
です。荷電は単行でも2連でも他の吊り掛け車には見られない軽快な
加速で愉快でした。
 秩父線開通当時のダイヤを見ると、荷電のスジは定期では6800代
の運番でした。不定期スジが有ったかのかどうかは判りませんが・・・。
積荷は、新聞が主体で他に小荷物が少々といった感じでしたね。
 或る日、一般旅客電車の半室幕仕切り代用荷物室に、池袋から
雛の入ったダンボール箱を沢山積み込み、車内がとても賑やかだった
ことが有りました。のどかな時代でした。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-21 01:26 x
つのすけ様 何時もお世話になります。

 新宿線の荷電はどの区間を走っていたのか、判然としないのですが、
西武新宿まで行っていたのでしょうか?。私は新宿線では萩山と小川で
写しただけでした。小川ではクモニ2のパンタが国分寺方を向いていました
ので、小平・萩山経由で来ていたようです。
Commented by 1411 at 2012-02-21 13:16 x
みなさま こんにちわ。いつもお世話になります。
池袋線の荷物電車の不定期否かは、幼少の記憶であてにはなりませんが、
昭和51年から52年にかけて、平日は毎日走行していたと思います。
なぜなら、走ってくる時間を覚えていて、その時間に踏切(場所はひばりが丘)で見ていたからです。決まった時間に来なかった記憶が逆にありませんもので・・・。いつも2連走行でした。

また、ひばりが丘の駅下り待避番線に停車中、友達数人で荷物電車の中を覗いていたら、運転手に小学校学年別に乗務員室(というか片隅運転台?)立ち入りラインを決めて、見せていただいたことがありました。
たしか服装は、貨物と一緒でグレーの作業服に黄色の帽子であったような記憶が・・・

昭和52年12月19日のダイヤ改正で廃止されたのを、某雑誌のコラムに笠縫信号所付近を走る写真付で紹介されたのを見て、ショックだったのを覚えています。

遠い記憶の彼方のお話にて失礼いたしました。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-21 17:46 x
1411様 いつもお世話になります。

赤い荷電には皆様方とても愛着がお有りになった事が良くわかります。
昭和40年代後半は、E851の牽く貨物列車も、池袋や国分寺まで運行
していましたし、荷電も頻繁に走るし、レッドアローも8連で走ったりと
種々バラエティー豊富で楽しめました。
 しかし新秋津の連絡線が出来たのが、昭和51年、荷電の廃止が昭和
52年に行われ、その頃を境に次第に貨物輸送も減少して行きました。
Commented by 池袋の小学生 at 2012-02-21 21:04 x
荷電特集 懐かしく拝見しています。
私の年代では 木造荷電の事は解りませんが、西武鉄道には旧国の
木造電車が走っていたようですね?
さて、 クモニ2は、352の時代はクロスシートで活躍していました。
西武電車 唯一のクロスシート車でした。「急行 狭山湖」などで池袋線を2両編成で疾走していました。
 小学生の思い出でした。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-21 22:59 x
池袋の小学生様 今晩は。いつも有難う御座います。
 クモニ2の前身、352(252)は当時唯一のクロスシート車
でした。昭和34年~40年にかけて国鉄モハ11を14両譲り受け
た内に、1両だけクロスシートのモハ14が混ざっていました。
どのような趣旨で選定されたのか知る由も有りませんが、2扉
車ですから、専ら狭山線で381と組みクハ代用で走っていました。
その後電装され、狭山湖スキー急行で池袋にも顔を出すように
なりましたね。一度だけ乗ったことが有りましたが、車内は国鉄
時代のままで殆ど手は入れられていませんでした。
改造前の写真追加しておきます。
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