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西武701形


   601系に続く量産新製能車

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601形に続く新性能車第二陣となる当形式は、足回り・制御機器は 601形をそのまま
踏襲しますが、車体を大きく設計変更しました。3扉非貫通湘南タイプではあるものの
側窓配置の独立均等化、551形続くアルミハニカムドアの採用(ドア室内側は化粧版貼)
、正面形状を大きく変更し行灯式行き先方向幕の取付、2灯式ヘッドライト、補強を兼ね
たステンレス化粧版、への字状だった正面窓の直線化、標識灯の上方移設等で以降
の801・101形まで続く西武2枚窓正面形状の基本形を確立しました。

    729F   柳瀬川橋梁            (各写真はクリックで原寸になります)
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 室内は従来の601形と略同一ですが、天井板も含め無塗装化を図り保守工程の簡略
に貢献しました。更に4両固定中間連結部の連結器を従来の密連から棒状に変更して
貫通路床面のフラット化を図ります。
 総計48編成、192両が昭和38年から同42年の4年間に量産されました。丁度一ヶ月に
1本が新製されるというハイピッチで増備が行われています。
 製造過程で多少の相違点が生じていますので、主なものを挙げてみます。

 第一次車  701F~747F
 外観的には正面ヘッドライトが普通球100W×2灯、乗務員室扉手すりが露出式です。
尚後期には、室内戸袋窓の大型化や、側部横サボ差しを取り付けて出場した車両も有り
ました。一次車最終の747Fは101形登場前年に、その色見本として試験塗装が施されま
した。
 第二次車 749F~795F
 外見的には正面窓下周りが補強され段差が見られること、乗務員室手すりが埋め込み
タイプに変更、室内貫通路上端部のRを直線状に変更しました。又最終増備の791F以降
は車内スタンションポールの撤廃が行われました。(この措置は、後に在来車全体に実施
されます。)

 改造
 後に全制御車の台車交換(TR-11A→FS072)、編成中央部貫通路への両開き扉設置が
行われ、一部車両には台車交換時にMGの交流化と室内灯の40w化が実施されました。
1701系のTR11からFS072への台車交換は、昭和44年から始まり同53年に全車完了、
又冷房改造・制動装置のHSC化は、昭和50年の731F・733Fから始まり、同57年の
747Fを最後に全車完了となります。
尚、701系冷改車の最初の6本は赤電塗装で出場しています。参考までに車番は下記の
番号だったと思います。後に冷改車は全て黄色単色に塗装変更されております。
731F,733F(4連、要検同時施工) 小手指
749F,751F(4連、全検同時施工) 小手指
701F,705F(601系モハ組込6連、全検同時施工) 南入曽
冷改と台車交換時期がラップしていますので、冷改時に台車交換も同時施工が実施され
た事例も有ったのかも知れません。

 6連化
 601系の中間電動車7組を冷改時に組み込み6連化されたグループがあります。
701F~713Fの7編成がこれに該当し4M2Tとなります。
またこれとは別に、791F~796Fの3本も編成を解かれ、電動車のみ785F~789Fに組込
まれ6連化され4M2Tとなっています。その際余剰と成った1791~1796のクハは電装され
Mc2連に組まれて、3代目501形3編成となりました。

     上石神井にて   昭和43年
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  新製時の701F  保谷~ひばりヶ丘   昭和38年
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 同上     701F  1701   保谷~ひばりヶ丘   昭和38年
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   同上     701F  1702
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   727F   拝島にて     昭和43年
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   705F    東久留米~清瀬    昭和38年
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     771F    秋津~所沢   昭和44年
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   781F  東村山~所沢    昭和42年
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   779F  武蔵横手~東吾野    昭和44年
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    久米川~東村山      昭和43年     
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    稲荷山公園~入間市(複線化工事中)
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    東村山にて       昭和43年
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    783F   東吾野~吾野   昭和44年
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    761F     西武立川~拝島    昭和43年
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    781F    小手指信号所   昭和43年
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    787F    ひばりヶ丘~東久留米   昭和43年
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    733F     西所沢~小手指(信)   昭和43年
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    727F    井荻駅   昭和43年
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    西武立川~拝島   昭和43年
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   711F   秋津~所沢    昭和42年
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   791F(ATS試験車)     小手指区    昭和42年
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  モハ791   小手指区   昭和42年
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  モハ722  上石神井
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    101系塗装試験車   747F  小手指区   昭和43年
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   751F 小手指区    昭和43年
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     新所沢引き上げ線にて
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 こちらは、横サボ使用の僚車伊豆箱根1000系第二編成2002+1004+1003
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初期の頃は方向幕内種別表示でした。  クハ1726
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 黄色(1101)と赤電(1791)  やはり赤電塗り分けは素晴らしいです。
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701系のカラー写真が有りませんので、159Fの再現赤電で
      平成13年10月8日   横瀬
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     保谷にて  
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  譲渡先

1735+735+736+1736→伊豆箱根 モハ1013+モハ1014+クハ2007(H2年)
                (735の電装品を1735に移設し1013とした)  
1777+777+778+1778→伊豆箱根 モハ1011+モハ1012+クハ2006(H1年)
                (777の電装品を1777に移設し1011とした)  
1783+783+784+1784→伊豆箱根 モハ1009+モハ1010+クハ2005(H1年)
                (783の電装品を1783に移設し1009とした)  

1771+771+772+1772→三岐 クモハ803+モハ804+クハ1804(H4年)
                (1771の運転台を771に移設し803とした)  
1779+779+780+1780→三岐 クモハ801+モハ802+クハ1802(H2年)
                (1779の運転台を779に移設し801とした)  
1781+781+782+1782→三岐 クモハ805+モハ806+クハ1852(H9年)
                (1781の運転台を781に移設し805とした)  
1789+701-89+701-90+1790→三岐 クモハ851+モハ881+クハ1851(H7年)
                (1789の運転台を701-89に移設し851とした)  

1755+755+756+1756→上信 クモハ156+クモハ155(H8年)
(1755の運転台を755に移設し156に、1756の運転台を756に移設し155とした)

1745+745+746+1746→流鉄 クモハ2003+モハ2101+クハ21(H7年)
                (1745の運転台を745に移設し2003とした)  
1757+757+758+1758→流鉄 クモハ2005+クモハ2006(H9年)
(1757の運転台を757に移設し2005に、1758の運転台を758に移設し2006とした)


            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)
by tetudankai5501 | 2012-02-25 23:46 | 西武鉄道 | Comments(17)
Commented by 清68 at 2012-02-26 14:05 x
ついに最大勢力701系登場ですね。
若々しい登場直後の姿を丹念に撮影されておられますね。その姿勢を見習わなければと想いを新たに致します。ともすれば引退間近の車両達に気が行って、新車は後回しにしてしまい、あとからしまったと思うのが常なので。
ところで、2段窓が独立配置となった側面が、701系の端正さを特徴づける要因の一つと思いますが、このデザイン、両開きを採用する際に初めから案出されていたと思えてなりません。
国鉄101系の2連ユニット窓に影響を受けて451系も2連ユニット窓となったようですが、そのために窓柱幅が端折られた分、車体中心よりに窓も扉も全て寄ってしまい、側面の妻板寄りが広い壁となっていますが、701系では窓も扉も見事なバランスで配置され、寸分の無駄もありません。
その頃の設計事情、ご存知ないでしょうか。
ちなみに3000系は扉位置と2連窓の中心位置を701に合わせているため、全体が中央に寄る現象は起きていないですね。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-26 16:06 x
清68様 今晩は。いつも御覧頂き有難う御座います。
701系は、601系で手が着けられなかった車体を大幅に見直し、以降の西武
スタイルを確立させたという意味で、良く練られた設計だったと思います。
それの完成版が801系であり、101系だったと思います。
 側窓の2連田の字の場合、仰るように連結寄り車端部に広い幕板が出来て
しまいますが、恐らく451系では運転室直近の窓も800mmを確保する為、この
ように全体に中央よりの側面配置になったのかと思います。ただ編成全体で
見ると、車端部のドア間距離が遠くなってしまうのが難点ですね。
 701系の場合は、窓割の個別化で製作工程の単純化を図ることが主眼で
あったと聞いていますが、結果的にはドア間距離が統一され均整の取れた
綺麗なスタイルになったと思います。特に端部幕板が無くなったのは当初とて
も新鮮に感じたものでした。ただその代償として、運転室直近の窓が細くなり
ました。
 当時は勿論冷房など有りませんので、特に運転室背後の窓の役割は重要
でした。余談ですが、当時小田急の2400系などは、運転室次位が直ぐ戸袋で
あったので戸袋窓を内外共に通風グリルにして換気しておりました。
Commented by つのすけ at 2012-02-27 22:55 x
なんといってもこの西武独特の「顔」、強烈な印象となって残ります。他の鉄道にはないオリジナリティーの溢れたデザイン、これを考えた方はすごいと思います。著名なデザイナーが考えられたのでしょうか。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-28 01:17 x
つのすけ様 お世話になります。
 701形のデザインは、やはり赤電塗り分けが基調になっている
ことが明らかですね。塗りわけラインとヘッドライトの位置、ステン
レス化粧版で再現した601までの塗り分けライン、寸分の隙も無く
綺麗にデザインされています。801系も同様に美しかったです。
黄色一色になってから、折角のバランスの取れた繊細なデザインが
台無しになったと個人的には思っております。
でもこうやって写真では往時を懐かしむ事が可能です。
Commented by 清68 at 2012-02-28 22:57 x
おっしゃるとおり寸分の隙もないデザインですね。
どこかが数センチずれても違ったものになってしまいます。
塗り分けラインがヘッドライトの位置を決めていますが、この塗り分けライン、701系登場前に551系に採用されているのですね。その時の寸法決定が絶妙だったということですね。
さらに、その塗り分けラインにちょうど収まる様に配置されている、側面の社紋・車番は、実は黄色+茶色の塗装の時代からその
位置にあるのですね。まるで赤電の塗り分けを予感したように。
701のデザインのルーツは奥深いようです。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-02-28 23:59 x
清68様今晩は 何時も有難う御座います。
 今宵は、こちら広島も雪景色になりました。明日朝は関東も積雪でしょうね。
さて、701系の項目同じような写真ばかり沢山貼り付けて、恐縮です。
それくらい701系が大量に走っていたと言う証?でもありますが。
701・801系のデザインと塗装のバランスは絶妙でしたね。仰るように少しでも
どこか狂っていたら破綻していたでしょう。何度もくどいのですが、101系で正面
を一色塗りにしてしまったのは、とても残念で、ましてや701系の単色塗りなど、全
くもってセンスが有りません。101系はあの塗装でしたら正面デザインを変えた
方が良かったのではないかと思います。
それに較べると、N101の正面デザインは秀悦だと思います。
Commented by 池袋の小学生 at 2012-02-29 20:10 x
何時も有難うございます。
さて、毎度の質問で恐縮ですが、701系のサボ受けの画像がありますが、私は サボ使用中の運用を確認していません。いったい何の為に
用意された物なのでしょうか?
 私の思い出では、1733の編成が装備していました。
 お願いですが、Vマーク塗りわけ1705編成?是非 掲載お願いしま す。
Commented by クハ1150 at 2012-02-29 23:20 x
こんばんは。いよいよ701系ですね!
いつも楽しみに拝見させていただいております。
赤電冷改の6連の準急・本川越ゆきで一度だけ乗った思い出があります。その後703Fが黄色一色になって出てきて見た時には、子供心に物足りなさ、寂しさを感じました。皆様のご意見と一緒かと思います。
ただ末期になりバラエティさでは101系をしのいだ楽しさがありました。最後はまさかの101系との併結ですから、701系自身もさぞ驚いたことかと思います(笑)。2000系が登場したころの新宿線がいろんな車種がいて好きでした。
Commented by 1411 at 2012-02-29 23:42 x
団塊鉄ちゃん様
いつも貴重な記録をありがとうございます。
行先表示にもいろいろなパターンがあったようですね。
登場時は幕一杯に文字を配置し、(清瀬行はそれぞれ端から端までめいっぱい使っている)、西の字は西と表示しているものもあれば、
西の縦棒が下まで突き抜けているもの等など・・・
時代が移るにつれ、文字が小さくかつ、中央に寄ってきていますね。
登場当時の行先幕順に興味あります。

Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-03-01 01:54 x
クハ1150様 いつもご覧頂き有難う御座います。
 私も701系は赤電の頃が一番好きでした。仰るように冷改当初に赤電のまま
クーラーを載せてステンレスドアの2丁パンタで出場してきた時は、これが701
系かと思うほど格好良くて勇ましく見えたものでした。黄色の703の6連を見た
時には、正に我が目を疑ったほど残念に思いました。
 2000系が登場した時も、斬新な正面形状にインパクトが有りましたが、走りの
ダイナミックさでは、101系の方が勝っていたように感じました。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-03-01 01:58 x
1411様 何時もコメント頂き有難う御座います。
 701系の方向幕の書体、ご指摘頂き初めて気がつきました。仰るように初期
のは左右一杯に書かれています。西の文字の違いも面白いですね。
第一次車の初期の頃は、急行・準急表示も行き先と併記していましたが、その内
優等列車種別が増えてくるとこれでは追いつかなくなり、別途窓上に表示となって
しまいました。
 併記の写真を捜しておきます。
Commented by ホビぽっぽ at 2012-03-01 18:38 x
毎号(?)楽しませていただいております。
初期はHゴムがグレー(青白)だったばかりでなく、標識灯のケースが塗り分けではなくベージュだったようですね。
性能的になんとも惜しいのは、HSCブレーキが見送られたこと。

701というと、あの“カポカポ”いうドアが好きでした。
開閉時やすれ違いの風圧で一気にあおられるときの音、ウエ~というモーター音とともに もっとも701らしい部分だったと思います。
音に関してはブレーキ緩解時のキシーというのも特徴ですね。

雨の日にはよく空転し、ことに冷改後はひどかったように感じます。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-03-01 22:27 x
ホビぽっぽ様 いつもコメントを頂き有難う御座います。

 制動装置の件、私もその様に思います。
折角MT54相当の主電動機を得た訳ですから、601系から思い切って
在来車との混結は諦めてHSC-D制動にしていた方が得策だったので
はなかったかと思います。勿論Tc台車もFS042とモハに揃えることが
必要ですが・・・。昭和43年から速度照査式の最新式ATSが取付られま
したが、車両の制動性能が及ばず最高速度が吊り掛け車と同じ85Km/h
に抑えられていたと思います。
ハニカムドア、551系もそうでしたがカタカタ音が耳につきました。ただ701
系のハニカムドアは内張りもデコラ板になった分、音も微妙に違っていました。
雨天時の空転、確かに激しかったですね。モータートルクに対して、制御装置
段数が少なかったのでしょうか?。
Commented by まだ無い at 2017-12-17 16:18 x
初めまして。
初めてコメント申し上げますが、従前より、特に西武鉄道に関する記事は、自分が直接知らない時代の西武電車について知る上での貴重な「一次資料」として、管理人様が某画像保管箱へ投稿された解説等と共に、大変興味抱きつつ拝見致しております。
当方がはっきり記憶する西武電車は昭和50年代中頃以降のそれですので、丁度管理人様が沿線を離れられてからの記憶と言う事になりますでしょうか。
今回、以前より管理人様にお伺いしたいと思っていた事柄が有り、コメント差し上げました。

これまで雑誌等の出版物で、新製過程の701系に関し、「母線が無くなった」旨の記述が見られるのですが、この「母線」とは奇数先頭車の正面車体左下、偶数先頭車の正面車体右下に有ります、ジャンパー連結器の様な物を指すと言う認識で宜しいので御座いましょうか。
それで間違いないとしまして、これについて、資料により「725Fから無くなった」「727Fから撤去された」等の記述を目にします。
しかし、管理人様のこちらのサイトを拝見しますと、ジャンパー連結器の様な物が取り付けられている「725F」「727F(昭和43年井荻)(昭和43年拝島)」「729F(柳瀬川橋梁)」の写真が掲載されており、一方で、私が古書店より入手しました「1728+・・・ S42-10-10」と裏書の有る写真には、やはり、ジャンパー連結器らしき物が無いのです。
詳細にデータを記録される方は滅多に間違いをしないと考えますが、これらが全て事実であるとしますと、少なくとも725F、727F、729Fに関しては、新製時「母線無し」で竣功し、昭和42~43年頃に「母線」が取り付けられ、更に後年撤去されたと言う説明が成り立ちます。
わざわざ新製時に無かった「母線」を後に取り付けたとなりますと、使用開始後、運用上の都合で電気連結器が無い車両との連結の必要性が生じたと言う事になりそうですが、これらの点について、何かご存じの事が御座いましたら、ご教示戴けますと幸いです。

文字制限が御座いますので、この辺りで失礼致します。
お忙しい所、有難う御座います。

Commented by tetudankai5501 at 2017-12-17 22:33
まだ無い様  ご覧いただき有難うございます。
ご指摘の高圧母線ジャンパー栓についてですが、私も701系の何号車から取り付けが
省略されたのかは判りませんが、「踏切事故等での破損時の安全性を考慮した対応
措置」と読んだ記憶があります。
高圧母線は通常増結時に他編成と接続することは無いと思われますから、電機連結器
取り付け過渡期に運用上の都合で再度付けられる事は考え難いと思われます。
従いましてご指摘の725F又は727F以降から母線が無いのであれば、私の写真データの
記載ミスと考えられます。

貴殿を悩ませてしまったようで大変申し訳ありませんでした。
Commented by tetudankai5501 at 2017-12-18 22:15
重ねてのコメント有難うございます。
話は一寸離れますが先日N101系247Fの復刻赤電塗装車が 出場しました。
西武としては159F以来久々の復刻なので内心期待していましたが、個人的
には懐かしさよりもN101の特徴を生かせていない塗装に違和感を拭いえない
ものでした。折角の復刻赤電なのですが残念です。リアル赤電世代としては
どうしても細部に拘り、対象をイメージとして受け入れることが苦手のようです。

さて、西武に於いて一世代を築いた701系とそれを取り巻く当時の車両の変遷
、履歴は確かに昭和30年代から50年代に掛けての雑誌等への掲載は非常に
少ないと思います。秩父線開業当時に少し話題になりましたが、全般的には
非常に低調でした。関東ではやはり地味な会社で、速度の遅いセミ新車ばかり
という評価が一般的だったと思います。
幼い頃から沿線住民でした私は当時他の私鉄を余り知らない者ですから、稀に
他私鉄に接するととても新鮮に感じたものでした。
貴殿が仰る車両の変遷・詳細履歴は私も大いに興味の有るところです。
しかし私などは何分車両の個々の変遷・履歴等を纏めた資料や知見の持ち合わ
せも有りませんから、纏めることは不可能でございます。

 西武車両の過去資料の主要なものは
鉄道ピクトリアル誌 
  No,230 1969年11月  西武特集
  No,560 1992年05月  西武臨増
  No,716 2002年04月  西武臨増
  No,884 2013年12月  西武臨増

 最近では
とれいん誌 
  No,505 2017年01月    西武特集 701系
  No,508 2017年04月    西武701系

 等が詳しいところです。
Commented by tetudankai5501 at 2017-12-20 00:55
まだ無い様。ご返信有難うございます。

復刻赤電については、やはり額縁タイプのN101系には違和感が大きく、更に
太い幕板部赤帯も繊細感をスポイルしてしまい惜しい仕上がりだと思います。
近江の元426Fの赤電の出来栄えが素晴らしかったので残念です。
やはり異形式での復刻は無理があるようで、原型が全て残っていない今とな
っては過去の記憶の中に留め置くほうが宜しかったのかも知れません。

451・551・601系と3000系に採用された2連田窓配置は安定感の有る優れた
外観の窓配置だったと思います。451系は国鉄101系の劣化コピーでしたが、
この2連田窓も国鉄101系由来のものと思われます。
701系で独立窓になったのは窓割付け均等化で製作効率の向上を図った
ものとの記述がありました。座席定員割り付けはどちらかと言えばその結果の
二次的な要因ではないのかと思っております。

話が逸れますが、赤電全盛期の昭和40年代の初め頃、旧型を除いた多数の
車両の車内貫通路妻面にクロックタイプのアナログ時計が各車両に設置され
た事がありました。時計メーカーのスポンサーが提供した物かは判りませんが、
恐らく電池式だと思います。何百両もの時計を正確に合わせることは難しかった
のか、短期間で姿を消してしまいました。撤去後にはその台座が暫く残っていた
のを覚えています。関係ない余談で失礼しました。

追伸です。貴殿から2回目に頂いたコメント文を当方の操作ミスで消去してしまいました。
大変申し訳ありません。お詫びいたします。
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