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西武電車2012年 その4

中村橋・富士見台にて


 池袋線複々線区間の緩行線駅で、隣の練馬高野台も同様の島式10連用ホーム
一面、外側に上下急行線があります。両駅間は非常に近く、僅か0.8Km位しか
有りません。高架化以前は両駅ともに上下線相対式ホームでした。特に中村橋駅
は構内に跨線橋や踏み切りが無く、一旦駅舎を出て直近の道路踏み切りを通って
個々のホームに設けられた改札から入場する必要がありました。
両駅共に現在は停留場ですが、地上時代の富士見台駅には中村橋方に渡り線
が有りました。

 写真は前回の練馬から一駅移動して中村橋です。島式ですので各駅停車は写し
難いので外側を走る急行線の列車を撮ってみました。



                          (各写真はクリックで原寸となります)
急行線を行く下り急行飯能 20105F10連  富士見台  2012年9月18日以下同日
20000系の側面、どの編成もテカテカなのですね。!
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同じく下り急行飯能9101F10連    中村橋
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上り急行線快速渋谷東急4104F10連    中村橋
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同列車 中村橋駅通過
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上り地上池袋行き準急6155F10連    中村橋
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下り急行飯能38105F+32103F 10連    中村橋
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下り快速飯能6106F10連     中村橋
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上り特急 秩父16号 秩父長瀞ラッピング10107F   中村橋
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昔は・・・
こちらは上の写真とほぼ同じ位置から、地上時代朝の急行池袋行501系+411系8連。
50年前の風景です。高架複々線など想像できませんでした。 昭和37年  中村橋
(先頭車両はモハ504で自動ワイパー先行取り付け車でした。台車は未だTR22を履いています)
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            (ブログ内掲載写真・記事の転載及び現業問合せ等はご遠慮下さい。)
by tetudankai5501 | 2012-11-07 23:01 | 西武鉄道 | Comments(6)
Commented by 1005-1006-2003 at 2012-11-09 07:51 x
こんにちは。
西武の沿線風景・施設・車両…どれも著しく変化していますね。
ワイパーの自動化の際の名残でしょうか? 501系や451系のワイパー部分のHゴム部分が丸くなっていましたね。残念ながら手動だった頃の記憶はありませんが。当時はワイパーも手動、速度計も無かった運転台、今の豪華な運転台と比べると考えられません。
東急5050(4000)系が営業運転を復活し、32204F+38112Fが月曜日から営業運転を開始しました。271Fは小手指に留置、休車でしょうか?
Commented by 団塊鉄ちゃん(簡素な運転台) at 2012-11-09 22:50 x
1005-1006-2003様 いつもコメント頂戴し有難うございます。
昭和35年頃まで西武電車は全て手動式ワイパーでした。雨天や特に降雪時は
とても大変そうでした。日除けも同様に存在しませんでした。とにかく運転台は
非常に簡素と言うか、圧力計が一個付いているだけで、僅かに501系だけに
機械式速度計(カチカチ時計の様な音がしました)が付いていました。
今だったら、簡易運転台と言う所でしょうか。Hゴムの凸はワイパー自動化の準備
工事だったのですが、凸に改造後数年間は手動のままの状態でした。本格的に
取り付けられたのは、例の551系の吊り下げ式自動ワイパー使用後だったと思います。
Commented by つのすけ at 2012-11-11 11:32 x
私が生まれた頃の貴重なお写真拝見いたしました。駅周辺の風景も車輌も様変わりしています。
運転台の写真も拝見いたしました。私が乗り始めた頃はすでにスピードメーターは装備され、自動ワイパーが普及していました。
でも結構運転士さんの中には手を伸ばして手動用のレバーを操作している方を見ました。
Commented by 番茶犬 at 2012-11-11 15:07 x
過日は、掲示板に投稿させて頂いた記事にコメント頂きありがとうございました。

1つ前の練馬の記事といい、今回の中村橋と、自分が生まれる少し前の時のようですが、練馬駅南口に有った材木やら日通の営業所やら思い出しました。

この中村橋の画像、背景になっている木々の場所はニチバン工場ですね、ニチバンが撤退して暫くは良い遊び場になってました。
太陽に吠えろのGパン刑事が殉職した場所でもあります(今の練馬第3小学校の校舎建っている辺りです)
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-11-11 15:14 x
つのすけ様 いつも有難うございます
昭和37年当時は池袋線では501系、新宿線では451系が主力でした。最新車は551系
で両線に配置されていましたが、後に池袋線に集められ、朝の所沢増結8連急行に
用いられていました。反対に池線の451系4連は新宿線に転属していました。
最初のカルダン601系の完成が同年12月でしたので、この年末までは全て吊り掛け車
で運行していました。
軌道は本線レールも未だ37Kg/mでしたし、PC枕木もほんの短距離で試用している
だけでした。尤も全車吊り掛け板バネ仕様ですから、乗り心地以前の環境でした。
Commented by 団塊鉄ちゃん at 2012-11-11 16:14 x
番茶犬様 ご覧頂き有難うございます。
昭和30年代中頃の練馬駅付近で商店街が有ったのは南側の千川通り沿いだけで、
北側はカネボウの大きな工場敷地になっていました。練馬駅の側線にはいつも貨車
が留まっていて材木やらを扱っていました。日通の黄色いトラックや西武運輸の車も
居たような覚えが有ります。練馬と中村橋との間に目白通りの踏切がありました。
踏み切り南側には古くから道路嵩上げ立体交差準備の為か、大きな土盛りがあり
良く此処で遊んだり、電車を眺めたりしていました。一旦目白通りが高架になり踏切が
解消しましたが、後に西武線が高架になる時は大掛かりな逆立体化の工事が一夜に
して実施されましたね。凄いと思いました。中村橋の写真、右手は仰るようにニチバン
セロテープの工場でしたね。懐かしいです。
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