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日暮里昭和38年




お馴染みの日暮里の上野方の跨線橋から、昭和37~38年当時に写したものです。非常に汚い
画像ばかりですが懐かしの風景と言うことでお願い致します。



京成の最新車、3150形。いわゆる赤電3100系の4連タイプでしたね。確か3191F~
は当初セミクロスシートだったと思います。従来の青電に較べ随分垢抜けて見えました。
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こちらは新製間もないEF80を先頭にした常磐線急行列車のようですが電・蒸運転が懐かしいです。
山手は73系全盛でした。
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DC特急ひばりキハ82系のようです。
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クハ86 300代とキハ58(再掲)
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   見苦しい画で申し訳有りませんでした

            (ブログ内掲載写真・記事の転載及び現業問合せ等はご遠慮下さい。)
by tetudankai5501 | 2013-08-07 10:32 | 国鉄時代 | Comments(2)
Commented by テツエイダ at 2022-03-21 15:25 x
初めまして 一枚目の京成電鉄車輛は迫力ありますね。国鉄と京成の間にある階段の際から撮ったのですか。
この人道跨線橋は映画のロケで度々使われてきました。 
小生のブログでは未だ取り上げていませんが、(警視庁物語 上野発5時35分)という東映作品で犯人と格闘の末に刑事が逮捕するシーンがあります。
 連れの女と上野5時35分発新潟行で待ち合わせしますが、刑事に見つかり この場所まで逃走し逮捕された時に 女を乗せた列車が下を 盛大な煙と共に通過して行くのです。(常磐線の列車以外で蒸機とは・・・)
 小生もこの跨線橋から列車を眺めるのが大好きでしたよ。
Commented by tetudankai5501 at 2022-03-22 18:08
> テツエイダ様
古い記事をご覧いただきありがとうございます。
昭和38年の写真ですので凡そ60年前ですが、この付近の佇まいは
昔のままで由緒ある当該跨線橋もそのまま現存するようです。
此の橋について一寸調べてみますと、名称は「芋坂人道跨線橋」と言い
昔は東日暮里の善性寺から谷中の墓地に至る坂道が「芋坂」といわれ
後に鉄道が敷かれ当初は踏切であったものが、その後跨線橋に付け替
えられたそうです。
今日でも橋の両端部には道路が寸断された痕跡があるようです。
「芋坂」の由来は、昔当地付近では自然薯多く採れたようです。
・・・・若しご存じで有ったならば、読み流してください。
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