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西武最初のカルダン車

昔の写真から

 昭和30年代中頃までの西武は省線時代の電装品にTR14台車の走り装置が標準
で、所沢工場製の新造車体を載せたセミ新車が投入されて来ました。急増する沿線
人口に対応するには輸送量増強が急務で、結果質より量の車両増備で対応させて
来た訳ですが、さすがに旧型部品の確保も困難となって昭和37年の増備車から初の
カルダン駆動車に転換しました。これが601系でした。同系は前年度に登場した551系
の車体を引き継ぎ、足回りをMM’方式に刷新し、一制御機一パンタで在来車との混結
の必要性から空制オンリーという経済性重視の新製車でした。特徴的なのは当時国鉄
通勤車標準のDT21台車をそのまま採用したのと、国鉄より僅かに早く強力電動機MT
54を搭載したことでした。しかし残念なのは走りに直接関係の無い制御車の台車はTR
11が従来どおり使用され、一見したところ在来車と同様の足回りに見えた事でした。




                          (各写真はクリックで原寸となります)
西武初のカルダン車601系。車体は551系をそのまま引継ぎました。
613F所沢発池袋行   昭和38年   東久留米~清瀬
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最後の4連吊り掛け新造車となった551系553F清瀬発池袋行   昭和38年   東久留米~清瀬
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            (ブログ内掲載写真・記事の転載及び現業問合せ等はご遠慮下さい。)
by tetudankai5501 | 2013-05-15 00:10 | 西武鉄道 | Comments(2)

西武551形


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 551形は昭和36年度から製造された、4連基本編成としては吊り掛け駆動の最後の形式となります。
車体形状は前作の451形と前々作の501形をミックスした型で、前面2枚窓復活です。
 湘南形の発展型とでも言いましょうか、中桟を細くした斬新な形状でその後の西武車両の基本形と
なり801系・101系までと、その類形としてN101や3000系まで続くいわゆる西武顔の初代車と成ります。
 側面窓・扉配置は451形と同様の2窓1ユニットで3扉を踏襲、車内見付けもほぼ451形と同様ですが、
車端部の吊り革・網棚支持パイプの削減、ファンデリアの増設(2基→4基モハは一箇所毎、サハは車
端部から一箇所毎に配置、側扉に初のアルミハニカムドアの採用(但し車内側は塗装仕上)、貫通路
の再広幅化等が変更されました。外観は正面は前述の様に変形湘南形、通風器は国電型グローブ
ベンチレーター、車番標記の金属板切抜き貼り、当初から標識灯の埋め込み化等在来車に較べレベル
アップされておりました。
 しかし、足回りや制御装置等の装備機器は在来車同様の、DT10台車・MT15主電動機(100Kw)・
CS-5制御装置・AK3CPで相変わらずの戦前型省線電車の走りでした。唯一の変化はMGが3Kw
に容量増と成った位です。
 551形の特徴としては、電機連結器の初採用が挙げられます。これは編成の長大化に備え電磁弛め
弁と共に採用された当形式からの新装備で、途中駅での連結、解放の簡便化に貢献しました。これ等
の装備は、後に在来車全体に及ぶこととなります。
 面白いのは、電連が編成中間部にも使われていた事ですが、後に一般型のジャンパ栓に変更され
ています。
 昭和36年末から始まった朝の急行8連化に際し、所沢での4両増結運用に本形式が優先的に使用
されますが、その為、新宿線配属車も池袋線に集約されました。
編成は当初4両固定のMc+T+T+Mcでしたが、昭和43年に501系の2M4T編成解消による中間サハ
2両5組を当形式に挟み、5本が6両編成となります。組み込みサハは一方を電装化してモハ571・サハ
1571形を名乗ります。元々増結車はサハ1551型の増備車であった為、全く違和感は有りませんでした。
 更に昭和53年この571ユニット2両は551系編成から外され独立してMc+Tc化されます。但し番号
はモハは奇数車のみで、クハはモハが奇数車のみだったので当時の西武の番付流儀の通り全車偶
数車となります。
赤電グループでは、多摩湖線の351形を除くと最後まで残り、昭和60年代当初まで使用されました。
尚台車は、当初411系で使用されていたFS40が同車のFS372化で余剰となった為、本形式が貰い
受け吊り掛けながらエアサス化された車も出現しました。571系は最終的に全てFS40に履き替えて
います。
 尚中途で室内蛍光灯の交流40W化が計られましたが、全車に及んだかは定かではありません。この
低圧交流化改造は701系冷改車からの発生品と思われます。



 完成直後は上石神井配置で新宿線で使われました。上石神井区   昭和36年
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 赤電吊り掛車4両固定としての最終編成561F試運転  秋津  昭和37年
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 上同試運転車保谷帰還、 レジンシューを最初に試用した編成でした。 保谷  昭和37
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 561F他8連準急池袋行き  秋津~所沢  昭和44年
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 国分寺線区間運用に就く559F   東村山  昭和43年
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 朝の各停ひばりヶ丘行き559F    保谷~ひばりヶ丘  昭和S37年
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練馬駅にて   昭和36年
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 吾野~飯能区間運用に就く553F   東飯能駅  昭和37年
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同上   モハ554      東飯能   昭和37年
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電連付を買われて、朝の所沢増・解結の急行に積極的に充当されました。東長崎~江古田 昭和37年
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 575+1575を組み込んだ6両固定編成化後の555F   小手指区  昭和44年
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 クモハ553       小手指区    昭和44
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 サハ1554       小手指区    昭和44年
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 中間電動車モハ575   小手指区    昭和44年
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 サハ1575        小手指区    昭和44年
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 初採用電気連結器   551F    上石神井区   昭和36年
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 切り抜き車番標記
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 451系と
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 所工出場後暫く保谷庫でED14-3と供にに留置中の551+1551。
 前面ガラスは入荷待ちの状態でした。  保谷庫     昭和36年
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編成表(記載内容・数値に誤りがあれば、ご容赦下さい)
551+1551+1552+552(S36年)   
553+1553+1554+554(S36年)
555+1555+1556+556(S36年)
557+1557+1558+558(S36年)
559+1559+1560+560(S37年)
561+1561+1562+562(S37年)
1563+1564(S37年)→571+1571(S43年551編成組込)→(S53年Mc+Tc化571+1572)
1565+1566(S37年)→573+1573(S43年553編成組込)→(S53年Mc+Tc化573+1574)
1567+1568(S37年)→575+1575(S43年555編成組込)→(S53年Mc+Tc化575+1576)
1569+1570(S37年)→1577+577(S43年557編成組込)→(S53年Tc+Mc化1578+577)
1571+1572(S37年)→1579+579(S43年559編成組込)→(S53年Tc+Mc化1580+579)

晩年2連化時の編成( )内は元601系クハ1601形
556+(1657)
557+(1660)
558+(1659)

譲渡表

551(運転台のみ)→一畑デハ93
552→一畑デハ93(両運) S61年
553(運転台のみ)→一畑デハ92
554→一畑デハ92(両運) S61年
558+(1659)→流山モハ1301+クハ71 S62年
560+(1661)→一畑デハ91+クハ191 S60年
561+(1658)→流山モハ1210+クハ81  S59年

575+1576→三岐クモハ607+クハ1608 S63年

 記載なき車番は、譲渡無く廃車です。

            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)
by tetudankai5501 | 2012-02-10 01:39 | 西武鉄道 | Comments(6)

2M4T



 質より量の時代を象徴する西武電車を代表する編成が、この2M4Tの501系6両半固定
編成車でした.
 昭和37年4月、551系最後の新造車561Fが登場しましたが、この頃旧国鉄標準部品が枯渇
し、ようやく重い腰を上げて次はカルダン車を採用しなければならない環境になってしまった
のです。そうして誕生するのが初の新性能車601系なのですが、新造準備に半年以上掛かり
その登場は、昭和37年12月年末の事でした。当時の西武沿線の人口は団地造成など盛ん
で急激に増えつつありました。半年間も車両増備を怠る訳には参りません。
 そこで目を付けたのが、当時西武一”大出力”(MT30 128Kw)と言われた主電動機を装備
した501系でした。501系4連(Mc+T+T+Mc)の中間に電装品の不要なサハを挿入し、安直
な車両増備を考えたのです。そうして生まれたのが、551系のサハ1562の続番1563~1572の
10両でした。この新造サハは殆ど床下機器は無く、唯一中古の1.5KwMGを各車搭載しただけ
でCPも在りませんでした。そうして出来上がったのが、Mc+T+T+T+T+Mcの2M4T501
系でした。サハは10両新造ですから2両づつ組み込んで、この編成が5本出来上がりました。
 当時標準のMT15の3M3Tの場合、(100Kw×4×3)/6=200Kw/1両
 2M4Tの場合MT30ですから(128Kw×4×2)/6=170Kw/1両(車体重量は同じと仮定)
で3M3Tの85%出力となりますが、何とか温度上昇試験等パスしたのでしょう。実際に走りだ
しました。が走りは計算どおりいかないもの、加速は悪く走りはギクシャクまるでP・P運転の  
列車のような走行状態で、さすがに当時のスジでも乗せるのは苦労していた様子でした。
ただこの編成だけが当時弱め界磁を使用し、高速域で速度挽回を図ろうとしましたが、駅間距離
が短い区間では、弱め界磁段に入る前にもう場内信号で減速するような状況でした。
 もう一つ扱いに手間だったのは、モーター負荷を平均化するために、定期的に2両のサハを
501系の中でたらい回しに組み替えていたことです。




 写真はモハ527+サハ1527+サハ1567+サハ1568+サハ1528+モハ528の2M4T編成
  高麗駅ハイキング急行の昼間待機  S37年 (各写真はクリックで原寸になります)
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 こちらは、各停運用に付く527F 池袋行き  秋津~所沢  昭和42年

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珍しく新宿線を走行する2M4T 東村山~所沢    昭和41年

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 サハ1528+サハ1568 連結部 

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しかし、さすがに上記のような状態で恒久的に使う訳にもいかず、後に半数を電装してモハ571形
として同型の551系に組み込まれ、昭和42年に2M4T編成は解消しました。
 しかし、551組み込みの際最後の579+1579のモハの電装品が間に合わず、両側クモハ559と
560をMT30に置き換え再び2M4Tが出現してしまいました。579が電装されたのが昭和44年です
から、西武には都合7年間も2M4Tが居たこととなります。

 電装化後551系に組み込まれたモハ575   小手指区  昭和44年

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 モハ575の相棒サハ1575     小手指区   昭和44年

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            (ブログ内掲載の写真・記事等の転載はお断りします。)

by tetudankai5501 | 2012-01-30 21:26 | 西武鉄道 | Comments(4)